「みんな新型爆弾の情報に飢えていた」。1945年8月8日、出張先の広島から長崎の実家に命からがら戻った山口彊(つとむ)さん(故人)は、見舞いに来た近所の人が次から次へと広島の惨状を尋ねに来たのでそう感じていた。そして翌8月9日の朝を迎える◆会社に出向き、上司に広島の街が1発の爆弾で全滅し、大量の人間が亡くなった様子を伝えていた。まさにその時だった。ピカッと閃光(せんこう)が走る。「あっ」と思う間もなく、ものすごい強風が建物を襲い「助けてくれ」と絶叫する上司の声が聞こえた◆広島と長崎の原爆で二重被爆した山口さんが著書『生かされている命』(講談社)で証言している。原爆で空は次第に暗くなり、やがて黒い雨が降り始めた。山口さんはその惨禍を「太陽が落ちた」と表現する◆山口さんは長崎に着いて広島で起きたことを聞かれた際、こう答えていた。「黒い着物は燃えやすいので熱線を反射する白い着物を」「ガラスの破片が施しようのない外傷となるから窓は開けておく」「とにかくピカッと光ったら頑丈な物陰に伏せる」。しかし、そんな助言も吹き飛んだのだった◆「1度ならず2度も原爆を投下した」。この事実をどう受け止めるのか。「投下が戦争終結を早めたと言うが、核兵器の善用など絶対にありえない」。山口さんの訴えは今も重く響く。(丸)

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