第一章 気宇壮大(三)



 少年大隈が親しく交わり、終生の友となったのは一つ年下の久米丈一郎(後の邦武(くにたけ))だった。久米によると、大隈は温和で親しみやすい少年だったという。
 だが大隈は、十二、三歳の頃から「ハシクリ」と呼ばれる暴れ者になっていく。「ハシクリ」とはハゼを表す佐賀方言で、すばしこいことからつけられた。
 腕力が付いてくると、大隈は学問でもめきめきと頭角を現していった。本人の回顧談によると、細かいことや無駄だと思われることを覚えるのが大嫌いで、物事を高所から大掴(おおづか)みする要領のよさを備えていた。また新情報に敏感な上、良書を見つける手腕は抜群だったらしい。しかも自分では読まず、良書を読書好きの友人に勧め、時によっては自分が購入した本を貸してやる。それで大要を聞いて「自己の薬籠(やくろう)中に収めておく」のが得意だったという。
 佐賀藩では、成績優秀者から順番に外生(がいせい)寮から内生(ないせい)寮へと進級できる仕組みだったが、十六歳になった大隈は同期の中で一番に進級を許された。

「やめた」
 読んでいた『論語(ろんご)』を放り投げると、大隈はその場に手枕で横たわり、薄汚れた天井を見つめた。
 背を向けて勉強していた同室の三人が驚く。
 弘道館の内生寮は四人一部屋で、十八畳の部屋の四隅に机が置かれ、中央に蒲団を並べて寝る形になっている。それゆえ最初に蒲団に入ることはためらわれ、自然に競い合いのように勉強することになる。
「何をやめるんですか」
 久米丈一郎がおずおずと問う。
「こんな勉強はやめる」
 それを聞いた一人は、大隈を無視して本に顔を埋めた。またもう一人の広澤達之進(ひろさわたつのしん)は大声で素読を始めた。広澤は後に鍋島閑叟の側近となるほど優秀だった。
 久米が「やれやれ」といった口調で言う。
「八太郎さん、勉強をやめたら、たいへんなことになりますよ」
「分かっておる。『文武課業法(ぶんぶかぎょうほう)』から脱した者は、家禄の半分を返上せねばならなくなると言いたいんだろう」
 佐賀藩には、成績の振るわない子弟の家の家禄を半分も召し上げるという「文武課業法」という厳しい定めがあった。

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