プロローグ(四)


「八太郎さん、そろそろ、会所小路(かいしょこうじ)の旧宅に戻りますか」
 大隈がうなずく。
「ああ、そうさせてもらう」
「では、そのうちあそこで会いましょう」
「そうだな。でも慌てて来るなよ」
「分かっています。こちらで土産(みやげ)話をたんまり仕入れてから行きます」
 久米が手をついて立ち上がる。綾子と熊子も見送りのために立とうとするが、それを手で制した久米は広縁(ひろえん)に出た。
 最後に大隈を一瞥(いちべつ)すると、いつものように渋面(しぶづら)をして目をつぶっていた。
 --また会いましょう。
 心の中でそう言うと、久米は追ってこようとする関係者を手で制しつつ玄関まで行った。
 先ほどまで降っていた雨は上がり、雲の隙間から青空が見えている。
 --八太郎さん、あんたはやるだけのことをやった。後は、この国の行く末を見守っていてくれ。
 久米は大隈邸の石畳を一歩ずつ踏みしめ、門の前で待つ人力車に向かった。

 この数日後の大正十一年(一九二二)一月十日、午前四時三十分、大隈は八十三歳十カ月の生涯を終えた。苦しみのない穏やかな死だったという。
 それからちょうど十年後の昭和六年(一九三一)、久米も後を追うことになる。九十二歳の大往生だった。
 幕末から維新を生き抜いた者たちは、櫛(くし)の歯が欠けるように一人また一人とこの世を去っていった。
 時は流れ、弾(はず)むような肉体を持つ若者にも老いは訪れる。だが天から授けられた才能を努力によって補強し、大きな業績を挙げた者の足跡は永劫(えいごう)に色あせない。伊藤博文(いとうひろぶみ)しかり、福沢諭吉(ふくざわゆきち)しかりである。だが伊藤は政治家に過ぎ、福沢は教育者に過ぎた。
 ところが大隈だけは違った。日本の近代化に貢献した者たちの中でも、大隈重信ほどあらゆる分野に精通し、その有効性を知るや、強固な意志で実現に力を尽くした者はいない。そのおかげで日本は一歩一歩、近代国家への道を歩んでいくことができた。
 それでは安政二年(一八五五)五月まで時をさかのぼり、大隈の生涯をたどっていこうと思う。

このエントリーをはてなブックマークに追加