プロローグ(三)


「八太郎(はったろう)さんは、『葉隠』の『武士道というは、死ぬことと見つけたり』という一節を、とくに嫌っておりましたな」
「ああ、嫌っていた。死んでしまっては何も見つけられん。人は見つけた先にあるものを、生きて追い求めねばならん」
「その通りです。それでも八太郎さんは、薩長出身者以外で初の総理大臣となった。それでも何も見つけられなかったと言うのですか」
 大隈は笑みを浮かべて首を左右に振った。
「そんなものは、たいしたことではない」
「政治を国民の手に取り戻したことが、たいしたことではないと--」
「うむ。まだ道半ばだ」
 久米がため息をつく。
「八太郎さんは最後まで反骨を貫くんですな」
「ああ、そうだ。それ以外、わしには何の取り柄もないからな」
 大隈が真顔になる。
「そろそろ若い者に席を譲られたらどうですか」
「分かっている。この国の若者は強くて賢い。彼らが学べる学舎(まなびや)も築けた。そろそろ、わしもお役御免だ」
「どうせ私も、すぐに後を追い掛けることになります」
「そうだな。だが丈一郎はまだ元気そうだ。この国のために働ける限り働いてくれ」
 この時、いまだ久米は、早稲田大学で古代史や古文書学の教鞭(きょうべん)を執っていた。
「分かりました。学びは死ぬまで終わりませんからね」
「ああ、人は死の瞬間まで学び続けねばならぬ」
 大隈が目を閉じる。
「疲れましたか」
「少しな」
「何が見えます」
「会所小路(かいしょこうじ)にあった旧宅だ」
 大隈の口元が緩む。
 その旧宅の離れの一室で、大隈や久米は、互いの情熱をぶつけ合っていた。それは、二度と戻らないからこそ貴重な若き日の思い出だった。
 大隈の脳裏に、口角泡を飛ばして議論を戦わせていた仲間たちの顔が浮かぶ。
「いろんな奴がいたな」
「はい。副島(そえじま)さん、江藤さん、島さん、大木さん、みんな鬼籍(きせき)に入ってしまいましたな」
 大隈にとっても久米にとっても、あの一室こそが若き日の象徴だった。

このエントリーをはてなブックマークに追加