プロローグ(二)

「今は、少し休んでいるだけだ」
 大隈が強がりを言っているのは明らかだが、なぜか久米はうれしかった。
「また、動けそうですか」
 少し考えた後、大隈が答える。
「此度(こたび)ばかりは分からんな」
 二人が皺枯(しわが)れ声で笑う。
「八太郎(はったろう)さんは、百二十五まで生きると息巻いておりましたな」
「ああ、人間の細胞は百二十五歳前後まで十分に活動できると、アメリカの医学雑誌に出ていたからな。むろんただ摂生(せっせい)するだけではだめで、常に気力を充実させ、快活な精神が肉体を支配せねばならない。さすれば不老長寿は自ずと得られる」
 弁舌さわやかだった若い頃とは比べ物にならないほど、大隈がゆっくりと噛み締めるように言う。
「それを信じ、実践していらしたんですか」
「当たり前だ。まだまだ成さねばならぬことがあるからな。それまでは死ぬわけにはいかん」
 大隈が皺だらけの口元をすぼめるように言う。
「では、まだ死ぬことは見つけられませんか」
「見つけられん。見つかるわけがないだろう。見つけたなどと言っている輩は嘘つきだ」
 久米の脳裏に、共に学び共に夜を徹して語り合った日々がよみがえる。
「そうです。弘道館では四書五経(ししょごきょう)や『葉隠(はがくれ)』の素読(そどく)ばかりやらされ、八太郎さんは辟易(へきえき)しておりましたな」
「当たり前だ。朱子学(しゅしがく)と『葉隠』だけでは、人生は退屈だ」
『葉隠』とは、山本常朝(つねとも)という佐賀藩士が口述(こうじゅつ)した武士の心得(こころえ)をまとめたもので、葉の陰に隠れて、つまり藩主に気づかれなくても黙々と忠義を尽くすことの大切さを説いている。いわば佐賀藩士の聖書と言えるもので、『葉隠』を否定することは武士(奉公人)であることを否定するのと同義であるとさえ言われていた。
「朱子学と『葉隠』が退屈とは恐れ入った。そういえばあの時、八太郎さんはご家老を前にして『人の自由な思想と、それに基づく行動を、狭い一藩の教育方針によって規制、拘束(こうそく)するとはもってのほか』と言ったというではありませんか」
「ああ、言った。しかし本音を言ってしまえば、退屈していただけだったのだ」
 二人が再び笑う。

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