縁側のつきあいというのが、このごろなくなった、と作家の久世光彦さんが以前嘆いていた(『昭和恋々』)◆「ちょっといいかしら」と、お隣さんが縁側に腰掛けて世間話を始める。家に上がるわけでなく、境界線がきちんとある近所づきあいである。思わぬ長話になって、お茶を替えに奥さんが台所に立つと、お隣さんは身を乗り出して部屋を眺め「あら、この家、ミシン買ったのかしら」。ほどよい距離を保ちながら、プライバシーがほの見える。そんな日常が信頼感を生んだという◆日韓関係の悪化で、県内でも中高生の交流事業が中止され、佐賀空港の釜プ山サン便も運休になるなど影響が出ている。自治体や民間レベルの交流は「縁側のつきあい」のようなものである。国という玄関を通じた外交では難しい、草の根の相互理解を担ってきたというのに◆日本政府が韓国を輸出管理の優遇対象国から除外すると閣議決定した。日本製品の不買運動が広がる韓国側の反発はさらに強まるだろう。「向こうが悪いくせに」と国民が感情をとがらせては、対立をほぐす糸口を見失う◆縁側のつきあいが消えた現代は〈顔を合わせれば、お愛想笑いだけで、内心では故ゆえのない疑いの目で隣りに住む人を観察している〉と久世さんは書いた。もうすでに、そんなまなざしを隣国に向けているかもしれない。(桑)

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