焼け残ったクスノキの巨木と福田さん夫妻

 太平洋戦争末期の8月5日夜から6日未明にかけ、B29の空襲が佐賀市南部と川副、諸富であり、死者は61人、焼失家屋は443戸だったとされる。「佐賀空襲を記録する会」の発行した『佐賀空襲』には、北川副町新村地区の空襲はひどかったが、焼け残ったクスノキの巨木があることが記されている。

 巨木の近くに住み、3歳のころに空襲に遭ったという福田ひろ子さん(76)は、母親に背負われて川べりに避難し、家も焼け、たくさんの農耕馬も焼け死んだことを記憶している。

 何百年前からあるか分からない巨木の大きさを、ひろ子さんの夫・義人さん(80)に計ってもらうと、幹回り3・6メートル、高さ20メートルあり、カラスが巣を作っていた。ひろ子さんは「クスノキはしゃべれませんが、地域の歴史を見ています。光源寺で毎年、空襲の日は慰霊祭が開かれ、クスノキの話もありますが、だんだん参加する人が少なくなりさびしいです」と話す。

 三十数年前の道路拡張の時も、通行の妨げになるかもしれないが残された。戦争の面影がなくなる中、戦争を見ていたクスノキのことは語り継がれてほしい。(地域リポーター・上原和恵=佐賀市)

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