古伊万里様式の製品

 有田の中で、比較的よく目や耳にする言葉に“古伊万里”がある。文字通り古い伊万里焼という意味だが、もちろん伊万里産の焼き物ということではない。

 江戸時代に重い焼き物を大量に運ぶには、船を利用するしか方法がなかった。有田で誕生した磁器は、同じ佐賀本藩の近隣の港である伊万里まで陸路で運ばれ、そこから船積みされて全国へと運ばれた。その後、隣の大村藩や平戸藩でも磁器が生産され、各藩の港からも積み出されるようになったものの、すでに名称が定着していたため、肥前磁器の総称として“伊万里焼”と呼ばれたのである。

 つまり、もともと“古伊万里”とは、古い肥前の民窯磁器の意味であり、大正から昭和初期ごろに名称が定着している。ところが昭和30年代には、研究の進展とともに、“古伊万里”の中から“初期伊万里”が分離され、“柿右衛門”や“古九谷”も有田の民窯製品であることが明らかになってきた。

 これに伴い、“初期伊万里”から“古九谷”、そして“柿右衛門”へと続く、製品の時期的な様式変化として捉えられるようになり、“古伊万里”はそれに続く、金襴手(きんらんで)などに象徴される対称的な構図を一面に配した、華やかな製品群の呼称となったのである。

 しかし、現在でも元の区分の名残で、江戸時代の伊万里焼の総称としても使われることも珍しくない。(有田町教育委員会学芸員・村上伸之)

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