故郷に帰れない遺骨1300柱が眠る納骨堂で「偏見、差別は残っている」と話す志村康さん=熊本県合志市の菊池恵楓園

 ハンセン病患者への誤った隔離政策で本人だけでなく家族も差別を受けたとして、国に元患者家族への賠償を命じた熊本地裁判決の確定を受けて、安倍晋三首相が24日、原告である元患者の家族らと面会し、謝罪した。佐賀県出身で、約70年間にわたって差別解消の闘いを続けてきた国立ハンセン病療養所菊池恵楓園きくちけいふうえん(熊本県合志市)の志村康・入所者自治会長(86)=仮名=は首相の判断を評価しつつ「偏見、差別は今も社会の中で生きている」と訴え、「これを退治するのは国家の責任だ」とさらなる取り組みを求めた。

 1948(昭和23)年3月、旧制中学の卒業を目前に控え、九州大学病院でハンセン病と診断され、菊池恵楓園に入所した。15歳のときだ。数年後、「家族に迷惑がかからないように」と本名、出身地を隠し、「志村康」を名乗り始めた。偏見、差別と闘う人生の起点となった。

 間もなく、基本的人権を保障する日本国憲法をもとに、全国の療養所で強制隔離を定めた「癩らい予防法(旧法)」(31年制定)の見直しを求める運動が活発化した。特効薬の登場で治る時代となり、退所する人も現れていた。

 しかし、らい予防法改正案(新法)には強制隔離が残されたまま。志村さんも「死ぬ気」でハンガーストライキに参加して反対したが、改正案は53年に国会で成立。96年に廃止されるまで差別を助長する元凶となった。

 志村さんは5人きょうだいの長男。妹の縁談は「ハンセン病の兄がいる」と分かって、何度も破談に。父親の葬式にも参列できなかった。「妹はよく自殺しなかったと思う。私と関わりを持ったら、どんな目に遭うか分からないから、『一切連絡するな』ときょうだいに言った」。療養所で知り合った妻との間にできた子どもは優生保護法に基づき、中絶を強いられた。

 98年、強制隔離を定めたらい予防法によって人間としての尊厳を奪われたとして、国の責任を問う国家賠償請求訴訟を起こす。原告団副会長を務め、自らの顔を出して人権侵害の被害を訴えた。01年、熊本地裁は国の隔離政策の違憲性を認める画期的な判決を出し、賠償を命じた。当時の小泉純一郎首相は控訴しないことを表明し、元患者らに謝罪した。

 これに続いて、ことし6月、国に元患者の家族にも賠償するよう命じたのがハンセン病家族訴訟の判決だ。

 96年のらい予防法廃止以降、01年の勝訴を経て、偏見と差別を解消する取り組みが続けられてきたはずだった。しかし志村さんは首を横に振る。「世の中にある偏見、差別が減っていない」。

 01年の判決後、熊本県出身の女性が両親の墓参りに行った。その様子を地元の人が見ていて「あの見知らぬ女性はだれだろう」と話題になった。後日、女性の兄から「もう墓参りしてくれるな」と連絡があった。一般的に、元患者はハンセン病になったことを隠したうえで、すでに亡くなったことにされているケースが多く、墓参りも自由にできないのが実態という。

 志村さんは安倍首相が家族に直接、謝罪したことを歓迎した。「国は原告の要望に添った形で差別解消に取り組んでほしい」と注文し、自身については「仮名のまま生き抜くしかない」と話した。

このエントリーをはてなブックマークに追加