子ども新聞のコラムでSNSへの投稿と「いいね」欲しさに触れましたが、これは子どもに限った話ではありません。

 学校へのスマホの持ち込みを禁じても、小中学生は日常的にネットでの配信に親しんでおり、閲覧だけではなく投稿しているケースも少なくありません。

 少し前までネットの空間は仮想空間と呼ばれていましたが、今やサイバー空間として現実の延長であり日常の一部です。そこでやりとりしている相手も現実の人間ですし、行われているのは実際のコミュニケーションですから画面の向こう側にいる人からの反応はどうしても気になります。

 ネットの動画投稿などでは「いいね」欲しさが非常に分かりやすいので、逆に教材として観察対象としてみましょう。

 この「いいね」欲しさというのは、とても明確な名利(みょうり:名誉・利益)欲といえ、悩みのもとになる煩悩の一つです。誰にでもありますが悩みのもとになっていると気付くことは難しいものです。

 人から認められたい、褒められたい、賛同を得たい、他者に勝りたいなどの思いが名利ですが、これらは努力の原動力となる思いでもあります。

 育児において、褒めて伸ばすというのも、強く叱って反発心で伸ばすというのも、この認められたい思いを利用するものです。叱責(しっせき)による指導は、繰り返しや心に余力がない状態では反発心を生めず、自分はダメな存在という思いの方が強くなりがちで推奨できません。即ちどちらも名利を満たせる形にしないと効果がないのです。

 問題は、この褒められたい、認められたい思いは、どこかで自覚しないと飲み込まれる危険があるということです。「いいね」欲しさに非常識な行動を投稿し、ニュースになることがありますが、決して他人事ではありません。私たちはともすれば人に認められるため、人気取りのためなら何でもするという感覚に陥りかねない存在なのです。

 関係性の中に生きているので認められることは大事です。しかし、そこには、一時的な他者評価を気にしすぎるというバランスの悪さが潜んでいます。人からの評価だけでなく、自分は自分や他者を何で判断しどう見るかも大切に考える必要があると思います。(浄土真宗本願寺派僧侶・日本思春期学会理事 古川潤哉)

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