年を取ると耳の聞こえがあやしくなってくる。「スニーカー」が「墨(すみ)烏賊(いか)」、「世の中」が「最中(もなか)」、「三分の一の値段」が「サンドイッチの値段」…全部、食べることに聞き違えてしまう。阿川弘之さんが『食味風々録』に書いていた。旺盛な食への関心が作家の長命を支えたのだろう◆対照的なのが評論家の樋口恵子さん。85歳でひどい息切れと貧血を起こした。自己流の診断名は「中流性独居型栄養失調症」。若いころに比べて空腹感がなく、パンや牛乳など簡単な食事で済ませてしまう。冷蔵庫には冷凍食品などが買い込んであり、いつでも食べられると思うと、それだけで安心してしまう◆一番の原因は、昔から料理好きだったのに、作るのも面倒、片づけるのも面倒で、台所に立つのがおっくうになってきた。手料理に腕を振るってきた女性たちに、80歳を過ぎたころから顕著になるこの傾向を、樋口さんは「調理定年」と呼ぶ◆「人生100年時代」を迎え、「老後」はますます長くなる。不安なのは、年金だけでは生活資金が足らないことばかりではない。今まで自分でできていたことを手放した時、どうやって毎日を暮らしていくか、切実な問題である◆「子ども食堂だけでなく、シニア食堂があればいいのに」と樋口さん。「定年後は地域で」は、サラリーマンに限った掛け声ではないようだ。(桑)

このエントリーをはてなブックマークに追加