故伊丹十三さんの父で、戦前・戦中に活躍した映画作家伊丹万作が、少年時代の記憶を書き残している◆友達と遠足に出かけ、しばらく休憩を取った。もたれた石の地蔵を何気なくなでていると、友達の一人が言った。「おい、ここは遍路の休むところじゃろが。その地蔵も何べんなでられたかわからんぞ」。郷里の四国には当時、お遍路のハンセン病患者が多かった。「お前はうつったはずじゃ」と脅された万作少年は、小川へ手洗いに走った◆昭和16(1941)年に発表された一文は、患者の強制隔離を下支えした地域社会の空気を生々しく伝える。「らい予防法」が廃止され、国の隔離政策が終わったのは、ほんの二十数年前。その「空気」は遠い過去の記憶ではない◆元患者の家族が「隔離政策によって差別や偏見にさらされた」と救済を求めた集団訴訟で、きのう熊本地裁は国に損害賠償を命じた。原告561人のうち、実名を公表したのはわずか数人という。いじめや離婚、地域からの孤立…家族の置かれた現実が透けて見える◆〈世の中のいちばん不幸な人間より幾人目位にならむ我儕(われら)か〉。ハンセン病の歌人、明石海人(かいじん)にこんな一首がある。深い苦しみに沈んだ〈我儕〉は患者ばかりではなかった。国が断罪されればそれで終わりではない。私たちも「空気」を吸っていたのである。(桑)

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