有田焼のパリ万博出展について解説する瀬戸健太郎記者=有田町の有田中

 幕末の歴史を佐賀新聞社の記者が解説する出前授業が26日、有田町の有田中(藤井昭三校長)で開かれた。鳥栖支社の瀬戸健太郎記者が講師を務め、3年生約100人が、有田焼発展のきっかけになった第2回パリ万博(1867年)の出展について理解を深めた。

 県内の中学校に新聞を届ける「さが維新塾」として開いた。多久島文樹NIE推進デスクが、佐賀藩のパリ万博出展の概要を紹介。瀬戸記者が、出品依頼から輸出までの準備期間は50日間と短かったため在庫から選んだこと、生活文化の違いで徳利は金具を付け、ランプとしてよく売れたことなどを説明した。

 さらに、この売り上げで佐賀藩が軍艦や鉄砲を買い、現地で得た情報から欧州の王侯貴族が好む焼き物を明治期の万博に出品できた、と成果に触れた。生徒からは「輸送期間は」などと質問があり、「長崎の港から仏マルセイユまで2カ月かかった」と答えていた。

 最後に多久島デスクが、時計の文字盤や東京五輪の公式商品など多用途に使われている有田焼の事例を報告した。生徒を代表して田代亮賀(りょうが)さんが「パリ万博当時の様子がよく分かった。学んだことを今後の学習に生かしたい」とお礼を述べた。

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