作家の出久根達郎さんが小学校に上がったのは戦争が終わって5年後の昭和25(1950)年。当時、小中学生は日の丸の小旗を持って動員された。村から出征した兵士の遺骨を迎えるのである◆ある日、小旗をうっかり捨ててしまい、包装紙の裏で間に合わせた旗を持って登校すると、友達が「そんなのはダメだ」と非難した。彼の小旗はまぶしいほど真っ白な布製だった。「父ちゃんの骨壺を包んであったものだぞ」(『隅っこの昭和』)◆同年に封切られた映画「東京キッド」で、美空ひばりは靴磨きの少女を演じた。♪右のポッケにゃ夢がある 左のポッケにゃチュウインガム…天才少女歌手の役どころはいつも孤児だった。〈あの時代、日本人のだれもがみなしごであったということだろうか。実際には家族とはぐれていなくても、精神的にはよりどころのないみなしごであった〉。同い年の作詞家阿久悠さんが回想している(『愛すべき名歌たち』)◆ひばりさんが52歳で世を去って、きょうで30年。平成になって半年後のことだったが、〈昭和の終わりに、としか思えない〉と阿久さんはつづる。敗戦の焦土に生まれた歌姫は「戦後」の象徴そのものだった◆時代は令和を迎え、昭和はいよいよ遠くなる。あのころ、夢とガムを同格に入れたポケットは今、何で満たされているだろう。(桑)

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