台所の刃物を、心をこめて研ぐのが好きな人だったという。歌人の故河野裕子さんは、がんと宣告された時にも砥と石いしに向かった。〈大泣きに泣きたるあとにまだ泣きて泣きつつ包丁を研ぎいたるかな〉。夫の永田和宏さんはその悲痛な姿を詠んでいる◆きのうの「ひろば」欄に、スイスで安楽死を選んだ難病女性のテレビ番組の感想があった。「文藝春秋」7月号にも、血液がんを発症した36歳の男性カメラマンが日本でも安楽死を、と訴えている。それを許容する機運があるかどうかは別にして、自分らしい最期を迎えたいと多くの人が願っている◆家族が何より大切な存在なのは、自分たちだけの時間を共有してきたからだ、と永田さんはいう。大切なひとが重い病に侵されたとき、その時間は一層切実なものとなる。できるだけそばにいたい、楽しく過ごしたい。ただそれが楽しければ楽しいほど、残された時間が減っていくのが惜しい。〈一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ〉。永田さんの歌は胸に迫る◆きょうはその夏至。1年のうちで最も太陽が高く、昼間の時間が一番長い日である。いよいよ本格的な夏に至るという季節の節目も、これから冬に向かって明るいひなたが日一日と短くなっていくと考えれば、寂しさもある◆一日一日を大切に生きたい、と思う。(桑)

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