千塔山にあった招魂社=基山町宮浦

 西なる岡は千塔山せんどやま

 桜並木のグラウンド

 松の翠みどりに けだかくも

 忠魂堂は拝まるる

 この歌は1937(昭和12)年ごろ、松尾禎作ていさく基山尋常高等小学校長、久保励先生を中心に編さんされた『基山郷土読本』の中で、「基山めぐり」と題して基山の名所や旧跡などを紹介する歌詞の一節。1960年代まで当時の国鉄基山駅の西にあった千塔山を歌ったものである。

 千塔山は、基山駅の西100メートルの独立の洪積層台地で最高所の標高は53メートル、東西は約250メートル。南北は約400メートルで東・南・西裾には木山口(基山町の交通・商業の中心をなし、大字宮浦・同小倉の一部で構成する通称名)の家並みが建ち並び、北は緩やかに高度を下げて27(昭和2)年設置の基山村立火葬場(当時)を経て水田に至る。

 近世の千塔山は畑や墓地などとして利用されていたが、近代に至り隔離病棟が公設されたほか、国のために殉職した人の霊を祭る招魂社・忠霊塔が造営されたことで、人々は千塔山を「招魂場」と呼んだ。

 招魂場に桜の植栽が始まったのは26(昭和初)年ころ、住民は「桜が丘公園」として親しみ、34(昭和9)年には忠魂堂、軍人会館が建立され、戦後の55(昭和30)年3月に町立基山保育園が開園、公園北には町の発展に貢献した松隈来造翁碑が建てられた。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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