大正2年10月、東京上野・精養軒における「佐賀美術協会」の設立会合の様子。右より田雑五郎、岡田三郎助、久米桂一郎、山口亮一、北島浅一、御厨純一(写真提供・大塚清吾さん)

 佐賀に根付いて1世紀余り。「第102回佐賀美術協会展」が、佐賀市の県立美術館で開かれている。大正時代から続く、国内最古の美術展である。

 1枚の写真がある。1913(大正2)年10月、東京・上野の精養軒で撮られたモノクロームの1枚。おちょうしや料理を載せた盆を前に、6人の男たちがリラックスした表情で写っている。

 日本の近代絵画をリードした巨匠岡田三郎助をはじめ、洋画団体・白馬会を黒田清輝とともに立ち上げた久米桂一郎、そして、佐賀美術協会の初代会長となる山口亮一ら、佐賀を代表する洋画家たちである。

 中央の画壇で名をなした画家たちが集まり、佐賀美術協会を立ち上げる-、その狙いを「佐賀の若い人たちは軍人や外交官にばかり憧れていた」「(岡田、久米の)両大先輩を持つ吾々(われわれ)郷土出身の美校生が集まって東京上野の某料亭で創立会を開いた」と書き残している。

 故郷に美術の土壌を培い、根付かせたい。その理想に燃えての船出だったわけだ。

 第1回展は、冒頭の写真の会合の翌年、14(大正3)年の夏、佐賀市の旧県会議事堂を会場に開かれた。洋画、日本画、工芸の3部門合わせて230点余りが寄せられ、多くの市民が詰めかけたという。

 その理想は現在まで脈々と受け継がれている。今年も洋画、日本画、彫塑、工芸の4部門に187点の応募があった。さらに、佐賀に拠点を置いて第一線で活動する会員・会友が164点を出品し、合わせて350点規模となる。

 最大の特徴は、所属する美術団体の垣根を越えて、作家たちが出品・交流する点にある。そのふところの深さが、新たな才能をはぐくむ土壌になっているのだろう。

 ただ、美協展の性格は時代とともに変わってきたようだ。

 例えば、在京作家による出品は現在では見当たらない。情報インフラや交通網の発達を背景に、中央と地方の距離感は変わった。中央画壇の動きも、タイムラグなしに伝わるようになったのが大きい。今や「こちらから発信しよう」という気概さえ感じられる。

 もうひとつの変化は、市民が主役という性格がはっきりしてきた点だ。今年の上位入賞者を見ても、高校生の割合が非常に高い。加えて、今回、洋画部門で最高賞に選ばれた藤井節さん(79)をはじめ、ベテランの活躍が目立つ。

 こうした傾向を、佐賀美術協会の北島治樹理事長は「美術を通じて人生を楽しんでいるのが伝わってくる」と講評していた。人生100年時代をいかに生きるか。創作活動を楽しみ、美協展への出品を目指すという生き方が広がりつつあるのかもしれない。大正の画家たちがまいた種は大きく花開き、確実に佐賀の風土に根付いている。(古賀史生)

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