鳥栖の酒米を使い、対馬で仕込んだ日本酒「兵介」を手にする村井英哉さん=福岡市

 先祖は江戸時代、対馬藩の代官所があった「鳥栖市田代の出身」と聞いている。対馬は90%は山で米作りは盛んではなかったから、米どころの鳥栖から、農業指導のために渡った人たちがいた。その一人かもしれないという。

 父が生まれたのは、対馬藩の城下町だった厳原(いづはら)町から北へ35キロほど離れた豊玉町佐保というところ。ここでは年に一度、地区を上げて「田代祭り」というものをやり、「田代がま」と呼ばれる独特の鎌で草刈りをしていた。「(古老から)田代から墓を船に積み込んで対馬に持ってきたとも聞き、驚きました」

 2017年から対馬市の情報発信や観光PRを担う福岡事務所へ。翌年、対馬藩田代領(鳥栖市の東半分と基山町)で善政を敷いた副代官賀島兵介(かしまひょうすけ)公をしのぶ「賀島祭」に初めて参加した。「それまで鳥栖に飛び地があって、賀島という方が活躍されたことを全く知らなかった」と話す。

 その後、「私が通った小学校の賀島校長先生が、兵介公の子孫であることも知りました」と不思議な縁も感じている様子だ。

 鳥栖と対馬は子どもたちの相互訪問、明治維新150年イベントに対馬から出店するなど交流を深めている。「今がスタートライン。子どもたちが成人する10年くらい先には、もっと交流が広がっていればいい」。

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