カット・大串亮平

 御恩(ごおん)ある主君が亡くなれば、迷うことなく「追腹(おいばら)」を切る家臣たちがいた。現代ではおよびもつかない凄絶(せいぜつ)な主従関係である。戦国の世はいつ死ぬとも知れぬ戦乱に明け暮れ、わが主君、領地、領民を守るために生命を投げ出すのが武士であった。戦闘武士団はいったん戦地に入れば、避けようのない生命の危機に晒(さら)される。

 ところが徳川幕府は260年余もの天下の泰平を維持した。武士が戦場で生死を賭けて戦うこともなくなった。では武士はすっかり「安全圏」に身を置いていたのかといえばそうではない。鹿児島大学名誉教授種村(たねむら)完司(かんじ)は、昨年5月刊行した「葉隠の研究」に「泰平期での生死をめぐる危機」を取り上げている。

 「生死を賭(か)ける戦場がなくなったとはいえ、それに準ずる暴力を伴う喧嘩、刃傷(にんじょう)沙汰(さた)、家族・親類や主君の仇討(あだう)ちなどがある」と、切迫した局面を挙げている。「葉隠」にはこれらに関する事件の記述も多く、そこに強調されているのは、死地への突入を躊躇(ちゅうちょ)しない武士の意気地であり、潔(いさぎよ)さであり、決断力である。

 聞書第一190節に「時機を逸するとだるみができる。武道は粗忽(そこつ)に無二無三(むにむさん)に」とある。種村の口語訳で紹介するとこうだ。

 「ある者を打ち捨てると覚悟を決めたとき、直(ただ)ちに突き進むのでは仕損じるかも知れないなどとは決して考えないことだ。間が伸びて、心に緩みが生じてくるから、たいていのことが達成できないということになる。武士道は軽率なほどに遮二無二(しゃにむに)の行動が大切である」

 人を切り捨てるような諍(いさか)いとはどのようなものか。それは当の武士に対して恥辱(ちじょく)が与えられたケースが多く、その恥を雪(すす)ぐための直接行動に大きな意味が与えられた。ある武士が城中で知り合いの侍(さむらい)にからかわれ、その侍を斬(き)り捨てるという事件が起こった。

 直茂公聞(きこし)召(め)され、「人よりなぶられて、だまりて居(お)る

時はすくたれ(臆病(おくびょう)=筆者注)なり。殿中とて場をのがす筈(はず)なく候。人をなぶるものはたはけ者なり。斬られ損(ぞん)」と仰せ出(いだ)され候。(聞書第七29節)

 武士に対する「嘲笑(ちょうしょう)」「からかい」は重大な罪であり、斬殺(ざんさつ)に値すると考えられていた。結局、その斬り捨てた武士は切腹に問われなかった。鍋島家の鑑(かがみ)(模範)であった藩祖直茂は典型的な戦国大名だった。殿中での刃傷を罰する法よりも、伝統と慣習に根づいた武士の矜持(きょうじ)(自信と誇り)こそが重要だ」と裁断を下したのだ。封建時代の武士道ならではの人権意識である。(葉隠研究会副会長・大草秀幸)

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