長らく与野党に分かれて対立関係にあった自民党と公明党が、連立政権樹立に向けた協力、連携を本格化させてから20年になる。夏の参院選で両党は、改選過半数の63議席以上の確保を目指すが、有権者からは連立政権の意義も問われることになる。両党は何のための連立なのかを確認するとともに、この20年を総括する必要があるだろう。

 1999年5月末、野党だった公明党が、参院で過半数を割る「ねじれ」状態だった自民、自由両党の連立政権に協力し、日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)関連法を成立させた。

 日本周辺で紛争が発生した場合など「周辺事態」の際の米軍に対する自衛隊による後方地域支援などを規定した安全保障政策の画期となる法案で、野党が協力する意味は大きかった。

 この後も「自自公」の枠組みで日の丸を国旗、君が代を国歌とする国旗国歌法、通信傍受法を含む組織犯罪対策3法など重要な法律が次々に成立した。これらの実績づくりを経て、公明党はこの年7月の臨時党大会で連立政権入りの方針を決定、10月に与党に加わった。

 理念、政策が大きく異なり、時に激しくぶつかり合った同士が手を結ぶ理由について両党は、「ねじれ」を克服して政治を安定させるとともにそれぞれの理念、政策の実現を目指すことなどを掲げていた。

 しかし、2009年から3年余の野党生活を経験し、12年に政権復帰して以後は、政権党であり続けることが目的化しているように見える。

 「政権維持ありき」ではないかとの批判の矛先が向くのは公明党だ。特に憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認とそれを踏まえた安全保障関連法制定には党内や支持母体の創価学会に強い反対論があったが、執行部は政権離脱カードを封印、成立させた。

 また、沖縄の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設にも拒否感があるが、政府方針に同調している。

 安倍晋三首相は、悲願とする憲法改正作業に入ろうとしている。「政権のブレーキ役」を自任する公明党は結党時の理念を再確認すべきではないか。

 自公連携のきっかけは1998年7月の参院選で当時の橋本龍太郎首相率いる自民党が惨敗し、参院で過半数を割ったことだ。後継の小渕恵三内閣の官房長官に就いた野中広務氏は公明党に閣内協力を打診。しかし、時には激しい敵対関係にさえあった自民党と組むことは創価学会はじめ支持者の理解が得にくいため公明党は、一定の時間をかけて協力の実績を重ねることと、両党の間に「緩衝材」としてもう1党加わることを求めた。

 野中氏は自由党の小沢一郎代表を説得して99年1月、自自連立政権を樹立する一方、公明党が求めていた地域振興券(商品券)を補正予算に盛り込み、連携が深まった。

 「ねじれ」を解消したかった自民党と、非自民の連立政権に参加していた当時、野党の自民党から受けたような攻撃を避けたい公明党の利害が一致した結果だった。

 2016年の参院選で勝利し、自民党が衆参両院で過半数を確保しても単独政権に転じないのは国政選挙などで創価学会の支援が欲しいためとされる。政権の基盤が与党の座と票の取引であっていいわけがない。(共同通信・柿崎明二)

このエントリーをはてなブックマークに追加