肥前名護屋城跡全景(2018年3月、南東からドローンで撮影)

 「天下人」秀吉の居城の一つである名護屋城は、標高87メートルの垣添山と呼ばれる丘陵部に築かれ、東西約600メートル、南北約300メートルに広がる巨大な総石垣の城郭です。わずか半年足らずで完成したと考えられていますが、本丸の拡張などに見られるような大規模な改造の痕跡も発掘調査で発見されています。

 名護屋城跡の最大の見どころといえば、現在は建物こそ残ってはいませんが、実際に見て触れることのできる430年ほども前の石垣です。高さが12メートルを超えるような高石垣も見られ、壮大な城郭をイメージさせるにふさわしい石垣がよく残っています。

 石の積み方も場所によって異なり、「割普請(わりぶしん)」の様子を見ることができます。虎口や通路などの人目に付きやすい石垣の中には「鏡石」と呼ばれる巨大な石を積み、石を割るための矢穴をそのまま残して意匠として活いかしている様子もうかがえます。そこには「見せる城」を強く意識した城郭であることを読み解くことができます。

 また、名護屋城は、強く戦闘をイメージさせるような城郭とは異なり、発掘調査では茶室や路地、堀内の出島などの文化的施設が多く発見されています。当時の名護屋城や城下町を描いた当館所蔵の「肥前名護屋城図屏風」には茶室や能舞台が描かれています。名護屋城は文化的景観が広く展開していた様子がうかがえ、桃山文化の粋を集めた城郭でもあります。

 私自身は考古学を専門としていますが、名護屋城跡の発掘調査を重ねるたびに、時の権力者である秀吉の強大な力と当時の人々の巧みな技と苦労を強く思い知らされます。(佐賀県立名護屋城博物館学芸員・武谷和彦)

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