大正町西浦遺跡で確認された道路と溝跡

 鳥栖市の地図を広げてみると、現在の鳥栖駅前から大正町を経て本町の通りにかけては、東西南北にきれいに区画割りされた市街地となっています。

 この市街地の区画割りはいつの時代からあるのでしょうか?

 それを証明する遺跡が、平成15(2003)年に発見された大正町「西浦遺跡」です。この遺跡はマンション建設に先立って調査されました。

 調査では区画された道路と溝跡が確認され、中世の土器類などとともに、15世紀後半ごろに朝鮮半島で生産された「粉青沙器四耳壷」が出土しました。高さは44センチで一部がわずかに欠けてはいますが、ほぼ完全な形でした。このつぼは朝鮮半島でも上流階級が使う貴重なものです。

 区画された道路と溝は現在の市街地の方向とも一致し、この周辺一帯は15世紀後半ごろから町割りされていたようです。(『鳥栖市誌第3巻』より)(鳥栖郷土研究会会長・藤瀬禎博)

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