新町町屋跡から勝尾城跡が残る城山を正面に望む=鳥栖市山浦町

 鳥栖市にある国史跡勝尾城筑紫氏(かつのおじょうちくしし)遺跡の一角に「新町」と呼ばれる場所があります。その響きから、現代のニュータウンや新興住宅地をイメージしがちですが、江戸時代に勝尾城下を描いたいくつかの絵図にも「新町」と記されており、勝尾城の整備と共に旧来の街並みとは別に新しく町づくりが行われたことがうかがえます。

 平成元(1989)年から鳥栖市教育委員会による発掘調査が行われると、勝尾城への登城道と伝えられていた道の両側から、短冊形の家屋跡が数十軒ほど確認されました。また、焼けた柱跡や火縄銃の弾丸なども確認されたことから、軍記物『北肥戦誌』にみえる「勝尾の城の麓新町輙ち焼払ふ」のとおり、天正14(1586)年に一帯の領主であった筑紫氏と薩摩の島津氏との間で行われた合戦において焼失した様子がうかがえます。

 その後、翌天正15年に筑紫氏は上妻郡(現在の福岡県八女市一帯)へ転封(てんぽう)したため、新町の本格的な整備は行われなかったようです。

 現在は田畑が広がっている場所ですが、戦国時代のまちづくりを教えてくれる貴重な史跡です。(地域レポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

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