ある討論会で、若い学者が町工場は将来生き残れないだろうと予測を述べた。パネリストの一人だった旋盤工で作家の小関智弘さんに、会場に来ていた近所の工場主が口をとがらせてこう言った◆「情報ってのは、情けを知らせるってことじゃないんですか。わたしらはどうやってこの不況を生き抜こうかって悩んでるんだ。こうやったら生き残れるっていう、情のある話が聞きたくて参加したのに」◆語義の解釈の当否はおくとして、近頃は情報から「情け」が消え、同じ情でも「感情」ばかりが目立つ。東京・池袋の暴走死亡事故で、運転していた元官僚(87)が退院し任意の聴取に応じる姿が報じられると、ネット上では「なぜ逮捕しないのか」といった声があふれる◆背景には警察の捜査全般に対する根深い不信があるのだろうが、これでは逮捕イコール刑罰のようなものである。事故が社会に問いかけたものは何か、高ぶる感情のまま読み取るのは難しい◆殺人や強盗致死傷など重大な刑事裁判に市民が参加する裁判員裁判が導入から10年を迎えた。「市民感覚」は性犯罪の厳罰化などに象徴的だが、一方でプロの裁判官による二審で量刑が減るケースが気にかかる。「感情」が支配する時代に人を裁く難しさだろう。同じ情でも「情理」を尽くす―これしかない。法廷でも、世の中でも。

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