飯盛神社拝殿。後ろの丘の上に本殿がある

 伊万里市山代町久原には「権現さん」と呼ばれ、ずっと昔から親しまれている飯盛神社があります。松浦党二代目党祖源直が1145年ごろの久安年間、現在の久原の城山に最初の城「飯盛城」を築城。その守護神として久原の馬洗川に神社を建立したことが、飯盛神社の始まりといわれています。

 天正4(1576)年、直の子孫の山代氏が龍造寺氏の侵攻に敗れるまでの四百三十有余年の長きにわたり、飯盛神社は山代氏の家臣と住民の守護神でした。この間、山代の各領主は、山代郷のほか、各地を領有するなど時代に応じて活躍し、現在の中国や韓国と活発な交易をしていました。

 天正15(1587)年に神社が武雄市北方町芦原に移された後、領民たちは村の産土(うぶすな)神として、城山南側の麓の字飯盛にいったん飯盛神社を祭り、明治9(1876)年に現在地に遷座されます。

 現在の飯盛神社は入母屋造りの拝殿で、伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冊命(いざなみのみこと)が祭られており、険しく急な石段を上った先にある本殿は石祠(せきし)です。

 現在も久原住民の氏神として祭られ、毎年10月の例大祭「久原くんち」では浮立が奉納され、五穀豊穣(ほうじょう)と久原区住民の安全が祈願されます。飯盛神社は松浦党時代から続く肥前山代郷久原の歴史をずっと見守っているのです。(地域リポーター・中尾良樹=伊万里市山代町)

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