小津安二郎監督の映画「浮草」の撮影を終え、楽屋で話す京マチ子さん=1959年

 女優の京マチ子さんが12日、東京都内の病院で亡くなった。95歳だった。

 京さんといえば、「羅生門」(1950年)である。平安時代、夫(森雅之)の目の前で盗賊(三船敏郎)に乱暴される妻、真砂。黒澤明監督は、この役に最初、原節子を考えていた。ところが、この役をどうしてもやりたかった京さんは、オーディションの時に、眉をそり落として出てきた。

 そのガッツに黒澤は彼女の起用を決めたという。実際、その熱意はすごかった。「先生、教えておくれやす」。彼女は眠っている黒澤の枕元に毎晩台本を持って座り、巨匠を閉口させたという。

 京さんは大阪生まれの生粋の関西っ子。踊りが大好きで、小学校卒業と同時に大阪松竹少女歌劇団(後の大阪松竹歌劇団=OSK)に入団。先輩の笠置シヅ子のブギウギのリズムに習い、ダイナミックなダンスを披露し、大きな話題を集めた。

 戦後の49年、OSKを退団し、大映に入社。最初に注目された映画は、谷崎潤一郎原作の「痴人の愛」(49年)だった。宇野重吉を相手に、肉体を武器にしてエロチシズムを発揮する奔放な女性ナオミを喜々として演じた。それはまさに、新しい「戦後」を象徴するミューズの誕生だった。

 その翌年が「羅生門」。この作品がベネチア国際映画祭でグランプリを受賞したことによって、彼女の名も国際的に羽ばたいた。海外市場を開拓したい大映の戦略に乗って、海外に売り出されたのが彼女だったのだ。

 溝口健二監督の「雨月物語」(53年)はベネチアで銀獅子賞、衣笠貞之助監督の「地獄門」(同)はカンヌ映画祭でグランプリを受賞。京さんは「グランプリ女優」とまで呼ばれるに至った。

 その後、山本富士子、若尾文子と並んで、大映を支える大スターとなったが、持ち前の負けん気とチャレンジ精神で、どんなジャンルの作品にも挑戦。成瀬巳喜男監督とは「あにいもうと」(53年)を、小津安二郎監督とは「浮草」(59年)を、市川崑監督とは「鍵」(同)をコラボして、映画史に残る名作をものにした。いわば日本が誇る巨匠監督を総ざらいして、主役を張ったのが、京さんだったといえる。

 黒澤監督はかつて「結婚すれば、いい世話女房になる」と語ったが、彼女は生涯結婚することなく独身を通した。その意味では私生活を律したミステリアスな大女優でもあった。(映画評論家、佐賀市)

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