深夜のバルは、気づけば女性グループで埋め尽くされていた。女三人寄ればかしましいというが、私たちがかしましいのには訳がある。それは、女がおしゃべりによってストレスを吹き飛ばすという知恵を持っているからだ。再び、友人とその同僚たちの会話に耳を傾ける。

 「女性躍進だなんだって言うけど、私たちは結局、圧倒的少数なんだよね。会社は男性に都合よく回るようになってるし」

 酔いが回った口調で話すのは、私の友人。彼女は正社員だが、この春、自分より仕事のできない同僚男性が年功序列で昇格し、ひどく憤っていた。ショックのあまり、その報を聞いて逃げ込んだトイレで、15分立ち上がれなかったそうだ。

 「まったくですよ。女っていうだけで組織内では評価されないんですよね。『女の割にはがんばってる』なんて言われて」

 そう返した友人の同僚女性は契約社員。彼女は、正社員登用試験を何度か受けているものの、一向に合格しないという。一方で、同じ部署内でお荷物状態の男性契約社員が今春から正社員になることを知り、激しく落ち込んだらしい。うんうんとうなずくのは、嘱託社員の女性と出産で退職したばかりの元アルバイトの女性。5、6年の付き合いになるという彼女たちの会話からは、思うように評価されない毎日を、4人が励まし合いながら笑い飛ばしてきたことがわかった。ファッションやコスメ、好きなドラマやアイドル、恋バナなんかを肴に、おいしい食事とおいしいお酒でストレス発散してきたのだろう。たまに小さい雑貨やクッキーなんかを交換したりして、互いをいたわりあって。

 彼女たちは戦友なのだな、と思った。同時に、かつて組織の中で一緒に戦った大事な仲間の顔が浮かぶ。そうだよね。立場になどこだわってはいられない。私たち女が社会で生きるためには、連帯しなきゃやっていけないときだってあるのだ。

 どこの組織に所属していたときも、女を排除してつるみたがる男たちに、どこかでイライラしていた。ただ私は、そのルールに従う以外の方法を知らなかった。先人たちのように、男たちがくだらない軽口や下ネタで絆を確かめ合う(あるいは牽制し合う)ときは、一歩後ろで微笑んで甘受したり、女っぽさを消して一緒にガハハと笑ったりしてきた。

 でも結局は、自分が人間扱いされていないことに気づいて組織に失望するのだ。「人の気持ちに寄り添うのがうまいから」とみんなが手を焼く人物の担当を押しつけたり、後輩のメンタルケアを任せたりしてくるのは、いつだって「男はそういうのが苦手だから」と弁解する男たちだった。空気を読んで、配慮して、気持ちを受け止めて、共感して、説得して。なのに、そうした労働は男社会で評価されない。他方、仕事にいまいち本気を出さない男の後輩が「男はバカだから。俺も若い頃はああだった」みたいなカタルシスとともに許される。おまけに給与査定では、「モチベーションアップのために彼の給与を上げたいから、君はもう1年我慢して」と忖度させられたりする。女だというだけで「生意気だ」と敵意を持たれたかと思えば、過度になめられることもしょっちゅう。仕事で懇意にしてくれたおじさんと食事に行けば、帰りに「放っておけない」と抱きしめられそうになる。

 きっと私も、男社会で生き延びたい一心で〝女らしい〟損な役回りをよろこんで引き受けたり、生意気に映るぐらい意気込んだり、勘違いさせるぐらい媚びたりしていたのだろう。確かなのは、一生懸命だった分、つらかったということだ。

 だから、励ましあって歩んできた女性たちには特別な思いがある。愛すべき戦友たちとテーブルを囲み、話題をとっかえひっかえしつつ、楽しくおいしくストレスを吹き飛ばしていたことを思い出す。それは、若さの情熱も相まって、まぶしい思い出だ。

 でもそんな思い出を、これ以上女たちが作る必要はない。痛みのない世界は、ずっとまぶしいはずだからだ。友人やその同僚、私―。今を生きる女たちがつらい戦いをかしましく乗り越えていくのは、自分たちだけのためじゃない。その未来を生きる女たちのためにも、目の前の岩壁が崩れ、光にあふれる瞬間が早く訪れてほしいと願っている。

 

有馬ゆえ(ありま・ゆえ)

1978年、東京生まれ。フリーライター。既婚。趣味は男女アイドルウォッチ。

このエントリーをはてなブックマークに追加