発掘調査現場でにこやかに声を掛けられる両陛下と、案内役を務めた七田忠昭さん(左側)=吉野ケ里遺跡、1992年5月13日

発掘調査現場に足を運ばれた両陛下と、案内役を務めた七田忠昭さん(左側)=1992年5月13日=吉野ケ里遺跡

 1989年の平成の幕開けとともに邪馬台国論争ブームの火付け役となった吉野ケ里遺跡(神埼市郡)に天皇、皇后両陛下が訪れたのは92(平成4)年5月の県内行幸の最終日だった。その前日、両陛下が宿泊された武雄市内のホテルで、遺跡の若手発掘メンバー4人との懇談の場が設けられ、考古学談義をされていた。

 「懇談は行幸の約1週間前に知らされた」。当時、遺跡保存対策室主査だった七田忠昭さん(67)=現佐賀城本丸歴史館長=は、急いでトレードマークだったひげをそった。夜に開かれた懇談の場に4人が到着すると、すでに両陛下が並んで長机の前に座っていた。

 同対策室主事だった森田孝志さん(64)=現吉野ケ里公園管理センター歴史専門員=は「部屋には両陛下以外に誰もいないことに驚いた。机を挟んでいるとはいえ、両陛下と4人との間は1メートルもなかった」と振り返る。

 懇談は、遺跡について両陛下が質問され、主に七田さんと森田さんが答えた。吉野ケ里遺跡の発掘で判明した集落や墓地の特徴、歴史公園の整備などの専門的な質問が続いた。

 場がなごみ始めた時、陛下から「ところで、卑弥呼(邪馬台国)はどちらと思いますか」と尋ねられた。七田さんは、邪馬台国論争の件と知り「私自身、以前は畿内説でしたが、吉野ケ里を発掘するうちに、九州説もあり得ると思います」と答え、「陛下はどちらとお思いでしょうか」と逆質問。

 森田さんらは一瞬息をのんだが、陛下は笑いながら「僕は分からないよ」と応じ、隣の皇后さまもクスクス笑われていたという。

 懇談で、七田さんらが印象深かったのは、遺跡から出土したガラスの管玉を両陛下に見せた時だった。管玉が入った木箱を持った陛下は体ごと寄せて、皇后さまにも見えるようにされていた。七田さんは「本当に仲むつまじかった。同時に、2人の考古学への関心の深さを知った」と話す。

 翌日の吉野ケ里訪問では、両陛下は展示室や墳丘墓、発掘現場など精力的に歩かれた。北内郭と南内郭の建造物の違いに気づいた陛下は、案内役を務めていた当時県文化課参事の高島忠平さん(79)に「南と北ではどう(建造物の)性格が違うのですか」と質問された。

 復元した物見櫓やぐらをじっと見る陛下に対し、高島さんは「私もこの復元物には眉につばをつけて見ております」と説明した。「陛下は大笑いされたが、古代史というものを科学的に見られていたのでは」と、研究者としての視点の鋭さを印象深く語った。

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