神原玄祐大僧正(写真提供=大興善寺)

 玄祐師は大興善寺の再興と裏山のつつじ園開発を進める傍ら、1932(昭和7)年には宗務監査員を拝命するなど、宗団活動にも力を注いだ。38年には推されて宗会議員に当選、56年には宗議会議長に就任する。57年から59年までと73年から77年までの2期、宗務総長を務め、75年5月26日の昭和天皇皇后両陛下の比叡山行幸啓に際しては、無事その大役を果たした。

 この間、58年4月21日には僧官の最高位である大僧正に昇補。九州初となる「天台宗別格本山」の称号を78年4月1日、天台座主(ざす)から大興善寺が賜る。同年12月には京都市左京区大原の「三千院」の第59世門主を拝命、アジサイを植樹して「あじさい苑」を造り、三千院の名をさらに高めた。

 15歳で玉岡誓恩住職のもとに入門したのち、20年からは大興善寺住職として寺の再興に尽くし、天台僧かくあるべしの心意気で、宗門の発展に輝かしい足跡を残した玄祐師は、桜の花に日本列島が包まれた95(平成7)年春、1世紀を越える生涯に幕を閉じた。

 父玄祐師の志を受け継いだ第97代神原玄應(げんのう)住職は、「園づくり」は「縁づくり」につながるとして2009年、園内に契山観音堂を祭り、開山1300年を迎えた17年には講演会、音楽祭を催したほか、今年1月には同町宮浦の荒穂神社と共に大興善寺が佐賀県遺産の認定を受けた。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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