天皇陛下は30日、皇居・宮殿「松の間」で「退位礼正殿(せいでん)の儀」に臨まれる。三権の長や閣僚らを前に在位中最後となる「お言葉」を述べる。皇太子ご夫妻も出席されるこの儀式で、1989年1月7日に現行憲法下で初めて即位した天皇として30年余りにわたり象徴天皇のあるべき姿を模索し続けた歩みは終わり、「平成」が幕を下ろす。

 陛下は昨年12月の誕生日会見で、サイパン島やパラオ・ペリリュー島など太平洋戦争激戦地への戦没者慰霊の旅、阪神大震災や東日本大震災などの被災地訪問―と公的行為を重ねた「天皇としての旅」を振り返った。憲法にある天皇の活動は首相任命や国会召集など内閣の助言と承認を必要とする国事行為だけだ。

 公的行為はこの国事行為と、宮中祭祀(さいし)や音楽会鑑賞などの私的行為との間に位置しており、陛下の意向が反映されることも多いという。それを活動の大きな柱に据え、精力的にこなしてきた「平成流」。背景に「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添う」という自ら考え抜いた象徴天皇像があった。

 戦後50年、60年、70年の節目が訪れ、大きな災害が相次いだ時代に平成流は共感を呼び、大きな支持を集めた。その天皇像も時代とともに変わる。令和の時代に、新たな天皇像をどのように描き、形づくっていくか。新天皇の模索が始まる。

 宮内庁が、82歳時の公的行為で昭和天皇と陛下を比べたことがある。昭和天皇は83年に344件を数え、陛下は2015年に529件。このうち被災地・避難所訪問を含む国内の「行幸啓におけるご活動」は昭和天皇の42件に対し、陛下はその3倍の128件だった。

 日本世論調査会が昨年12月に調査で、陛下の活動で評価するものを二つまで答えてもらったところ「被災地見舞い」が70%で最も多く、「国際親善」37%、「戦没者慰霊」29%などが続いた。

 雲仙・普賢岳の噴火で被害を受けた長崎県の被災地を91年7月に訪問して以来、陛下は各地で災害が発生するたび、皇后美智子さまとともに間を置かずに現地へ足を運び、避難所の床にひざをついて被災者の話に耳を傾けた。天皇の役割について「国民のために祈ること」「存在するだけで、ありがたい」といった声もあるが、「象徴としての地位と活動は一体不離」との姿勢を貫いた。

 だが公務が膨れ上がる中、老いとともに負担は増した。11年に気管支肺炎で入院。12年には心臓の冠動脈バイパス手術を受けた。以前から、健康上の問題が起きる前に退位したい旨を宮内庁に伝え、15年の誕生日会見で思いを明かそうとしたものの、「時期尚早」と首相官邸に止められた。

 そして翌年8月8日になり、国民に向けビデオメッセージを公表。退位の意向をにじませた。

 被災地訪問について、新天皇となる皇太子さまは「今後とも自分の活動の大きな柱として大切にしていきたい」と述べている。とはいえ、平成流に縛られる必要はないだろう。ライフワークとする水問題の研究では、国際会議で講演した経験もある。新皇后となる雅子さまは外交官だった。適応障害の長期療養が続いているが、活動の幅は広がりつつあるという。

 国際親善に期待する人も少なくない。象徴の務めをどのように見定めていくか、見守りたい。(共同通信・堤秀司)

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