中島潔さんががんの手術から復帰第一作として描いた「唐津くんち」のリトグラフを見つめる辻幸徳さん=唐津市刀町の辻薬店役員室

14台の曳山の先陣を切る1番曳山・赤獅子(刀町)=2018年11月3日、唐津市の唐津神社前

赤獅子の生みの親とされる石崎嘉兵衛の名前が刻まれた仁王像の背面銘文(唐津市西寺町の浄土寺所蔵)

 唐津くんち宵曳山(よいやま)の出発点、大手口にある辻薬店ビル4階役員室。会長で「赤獅子弐(に)百年祭実行委員長」を務める辻幸徳さん(70)は毎朝、壁に掲げたリトグラフと向き合う。厳木町出身の画家中島潔さん(75)の作品だ。

 1番曳山、刀町の赤獅子が2番曳山・青獅子(中町)と覇を競うように並び立つ。曳(ひ)き子のまなざしは一様に鋭く、厳しい。2012年、がんの手術を終えた中島さんの復帰第一作。「ほとばしるエネルギーと命、そして祭りが育んできた絆。凜(りん)としたものが伝わってきて、それはまさに赤獅子、曳山そのもの」と辻さん。柔和な表情に200年の節目をつかさどる決意がにじむ。

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 赤獅子が創建されたのは文政2(1819)年。文書に「先づ、此度新ニ出来候町々ニハ 刀町 獅子の首 此首の中にて囃もの等致し申候」とある。獅子舞がそうであるように、悪霊をはらい清める能力を持つ獅子が祭礼の先陣として選ばれたと考えられる。

 唐津くんちは唐津神社の秋季例大祭であり、祭礼は以前から行われていた。始まりや形式は定かではないが、宝暦13(1763)年の唐津藩文書には西の浜に神幸するみこしに「傘鉾(かさぼこ)等が付き従っていた」と記される。この傘鉾が曳山の原型とされ、それから56年後、先の文書にあるように赤獅子が「新ニ出来」上がった。

 それまで簡素だった神幸の行列に、勇躍、赤獅子が参入する。「漆が目にもまぶしく、囃子(はやし)を町々に響かせる。みんな度肝を抜かれ、熱狂したことだろう」と唐津くんちの歴史に詳しい漢方薬店主の吉冨寛さん(61)。12番曳山・珠取獅子(京町)の元正取締でもあり、「よくぞ、赤獅子を作ってくれた」。以後、明治9(1876)年の江川町・七宝丸まで、57年の間に次々と曳山が作られていく。

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 藩の御用商人や御用達の職人が分住する町々の中で、なぜ刀町だったのか。そこで浮上するのが「石崎嘉兵衛」だ。「刀町の石崎嘉兵衛がお伊勢参りの帰りに京都に立ち寄った際、祇園祭の山鉾に触発され、赤獅子を製作した」と語られる、あの赤獅子生みの親である。

 嘉兵衛は造り酒屋「菊屋」の出身とされてきたが、それ以上の素性は明らかではなかった。1981年、刀町に近い浄土寺(西寺町)の蔵に眠っていた仁王像の背面銘文に、「文化十三年(略)細工唐津刀町住石崎嘉兵衛清堅作之」と刻まれているのが見つかった。文化13年は赤獅子製作の3年前。年代的にも符合する。実在が確認された。

 では嘉兵衛は「細工」の一職人だったのか、今の金額に換算して1億円以上とされる製作費用は誰がどこから調達したのか。「民衆史」ゆえ、史料は少なく、赤獅子製作の経緯をめぐる謎が浮かび上がる。

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 時代に目を転じてみると、時は化政年間。江戸期の町人文化が全盛期を迎えていた。唐津藩では水野時代の統制から小笠原氏に移り、領内の気分も一新された時だ。

 そうした空気の中、嘉兵衛は京都で何を見たのか。10年前、370ページに及ぶ「唐津曳山 記録保存報告書」をまとめた編者の一人、仁田坂聡・市文化財調査係長(50)は「唐津の曳山と京都祇園祭の山鉾の構造は明らかに違う」と指摘した上で、次のように考察する。

 「嘉兵衛が京都を訪れたのは、天明の大火からの復興途上で、被災した山鉾も徐々に復活し、祇園祭が盛り上がりを取り戻そうという頃。その熱気と、パレード的な『見せる』要素に魅了され、唐津でも、と思い立ったのではないか」

 以来、明治、大正、昭和、平成、そして令和。時代の波と唐津の町人気質が生んだ祭りは、脈々と受け継がれていく。

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 唐津くんち一番曳山・赤獅子創建200年と新天皇即位を祝賀し、5月5日、曳山14台が特別巡行する。曳き子の総勢3千人。時を超えて貫かれる思いを書き記す。

 

 ■曳山の名称 1958(昭和33)年、佐賀県重要有形民俗文化財に指定された当時は「唐津山笠」という名称だった。ただ博多山笠など祇園山のイメージが強く、唐津特有の勇壮さが伝わらないなどとして、73年(昭和48)年、県教育委員会に名称変更を申請し、「唐津曳山」になった。

 

 ■唐津曳山年表 

755(天平勝宝7)年 唐津神社創建

1817(文化14)年 唐津藩主が水野家から小笠原家に

1819(文政2)年 刀町・赤獅子創建

1824(文政7)年 中町・青獅子創建

1841(天保12)年 材木町・亀と浦島太郎創建

1844(天保15)年 呉服町・源義経の兜創建

1845(弘化2)年 魚屋町・鯛創建

1846(弘化3)年 大石町・鳳凰丸、新町・飛龍創建

1847(弘化4)年 本町・金獅子創建

1859(安政6)年頃 紺屋町・黒獅子創建(その後焼失)

1864(元治元)年 木綿町・武田信玄の兜創建

1869(明治2)年 平野町・上杉謙信の兜、米屋町・酒呑童子と源頼光の兜創建

1875(明治8)年 京町・珠取獅子創建

1876(明治9)年 水主町・鯱、江川町・七宝丸創建

1958(昭和33)年 曳山14台が佐賀県重要有形民俗文化財に

1980(昭和55)年 曳山行事が国の重要無形民俗文化財に

1988(昭和63)年 昭和天皇の容体悪化に伴う自粛ムードの中、くんちを挙行

2016(平成28)年 曳山行事がユネスコ無形文化遺産に登録

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