基山町宮浦の中央公園内にある歌碑。左に見えるのは町立図書館

 新元号が「令和」に決まったのを受けて、基山町宮浦の中央公園にある万葉集の歌碑が静かな注目を集めている。「令和」は730年に、大宰府(福岡県太宰府市)の長官だった歌人、大伴旅人(665~731年)の邸宅であった梅花の宴で詠まれた和歌の序文から引用された。歌碑は、旅人がこの年の終わりに、奈良の都に帰任する際、宴にも参加した友人で筑後守(ちくごのかみ)の葛井連大成(ふじいのむらじおおなり)が別れを惜しんで詠んだものだ。

 歌は「今よりは 城きの山道は 寂さぶしけむ 我が通はむと 思ひしものを」。

 日本最古の歌集『万葉集』(巻四)に収められている。読み下すと「これからは大宰府に通う際の城の山道は寂しくなることでしょう。私はあなたにお目にかかるのを楽しみに通い続けようと思っていましたのに」との意味という。

 「城の山道」は、筑後国(福岡県南部)から大宰府へ向かう途中、基山町にある古代の山城基肄きい城(国特別史跡)東側の山腹を通っていた山越えの官道のことと推定されている。大成は、この山道を毎月のように通って大宰府の旅人を訪ねていたとみられている。

 松田一也町長は「二人は親友だったのでは」と言い、ツツジ園の開園でにぎわう「大興善寺から基山(きざん)に行く辺りで歌われたのかも」と歴史ロマンを膨らませる。

 歌碑は旧図書館の前に1982年、同町宮浦の中村文造氏の寄贈により建立された。図書館が中央公園内に移転したのに伴い、昨年、現在地に移された。

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