先月からようやく地区の復興工事が始まった大切畑地区。後方は本震で県道の高架橋が約1メートルほど傾き、山も崩落した=熊本県阿蘇郡西原村

「先月からようやく地区の復興工事が始まった」と話す大切畑地区の前区長坂田哲也さん(右)と現区長坂田明夫さん=熊本県阿蘇郡西原村

 2016年4月16日未明、震度7の熊本地震「本震」で死者9人、負傷者56人、建築物2473棟損壊の被害を被った阿蘇郡西原村。被災直後から物的、人的両面で支援した佐賀県とのつながりの深い同村では、再生に向け、つち音が本格的に響き始めた。「あの日」から3年を迎えた村の現状を追った。(山内克也)

 平日正午になると、村役場近くの弁当店の駐車場には、車体に「○○建設」「××産業」と記された軽自動車やワゴン車、トラックなどが次々と入り込んでくる。店内の作りおきの弁当はすぐなくなり、レジの前には作業着の男たちが弁当を持ち列を作った。

 昼時にごった返す弁当店から東へ約2キロの大切畑地区。震源の一つ布田川断層帯上に位置するこの地区は、家屋の多くが石垣を擁壁にして建てられていた。本震の際、その石垣がもろくも崩れ、地区にある居住家屋の94%が全半壊。24世帯約80人が暮らしていたが、現在は一部損壊で済んだ前区長の坂田哲也さん(62)の一家だけが地区に残る。

 「夜に明かりがともっているのはうちだけ。寂しいもんです」と坂田さんは声を落とす。周囲は、倒壊した家屋が撤去され、野ざらしとなった敷地が広がる。震災の生々しい傷痕が残る中、建設機械の音が響き、大型車が通る道路の造成をしていた。「本格的な復興工事が始まったのは先月から。ようやくだよ」。坂田さんは不満げな表情を隠そうとはしない。

 大切畑地区は県内の被災地でも先駆けて、17年7月に全住民の署名を携えて、宅地造成を含めた復興協力の要望書を村に提出した。翌年4月に起工式を挙行し地元メディアは、「どこよりも早く復興に向け力強く歩み出した」と報じた。

 一丸に見えた大切畑地区の住民は、実は集団移転するかで意見が割れていた。地区再生にかじを切り、元の居住地に戻る意思があるのは12世帯だけ。今も地区離散の窮地にある。

 さらに、阿蘇山麓の緩やかな傾斜地に家を構えるとなると、コンクリート製の擁壁で整地された土地に鉄製杭を数十本打ち込む必要性がある。現区長で仮設住宅に住む坂田明夫さん(72)は「土地整備の費用は行政が持ってくれるが、肝心の資材は不足し、高騰も予想される。村の財政に影響が出るのでは」と、不安を隠せない。

 今月から同村に派遣された鹿島市職員宮﨑剛史さん(40)は税務課固定資産税係に配属された。震災直後、倒壊した家屋調査で短期間、西原村に滞在したことがある。数年ぶりに訪れ、「思っていたより(復興は)進んでいないのでは」と、複雑な胸の内を明かす。

 西原村の仮設住宅の居住者は約300世帯から3分の1まで減った。被災者の多くは昨年建設された災害公営住宅に移住したり、民間会社が開発した分譲地への新築が相次いでいる。固定資産税の新規査定数は本年度で約300件に上り、被災地特有の減免措置も進めないといけない。

 一方で、宮﨑さんは懸念を抱く。「家を新築した住民はローンなどが残る。災害住宅の移住者は慣れない土地に住むことになる。震災前の日常を取り戻すのは、かなり難しいのでは」

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