防災に携わる人の間では「災害が進化する」と表現することがある。平成の時代は震度7の巨大な地震が相次いだ上に、その被害像、あぶりだす問題点は社会の変化に伴って多様化した。1923年の関東大震災を教訓に発達してきたこの国の地震対策は、抜本的な変革を迫られ続けたと言えるだろう。

 始まりは95年の阪神大震災だった。政府は「初めての経験で早朝のこともあり混乱があった」と、初動の遅れを認めざるを得なかった。自然災害に対する危機管理という発想は乏しく、慌てて官邸の機能が強化された。

 この地震で活断層の恐ろしさも深く認識された。活断層の在りかが全国で探られ、約2千あるともされる。位置は分かったものの、その上に多くの建物があって住んでいる人も多い。活断層周辺の土地利用の規制は、ほとんど手つかずと言っていいだろう。

 2011年の東日本大震災は、東北地方の太平洋岸で想定されていなかった規模の海溝型の地震だった。多くの人が津波から逃げ遅れて亡くなり、東京電力福島第1原発事故も起きた。安全神話が崩れたとも称され、当時の政権の対応も問題視されている。

 だが、真に問われるべきは、巨大地震の存在を見抜けなかった科学の限界、津波からの避難を徹底できなかった防災体制の在り方、そして深刻な原発事故を本気で想定してこなかった歴代政権のいいかげんさではないか。

 この大震災から「想定外」という責任逃れの言葉も流行した。一方で、最悪を想定して最大限に備えるという思想が防災の主流となり、起きる前の備えを重視する事前防災の考えも広まった。

 しかし、開発規制を盛り込んだ津波災害特別警戒区域への指定や、安全な高台への集団移転は進んでいない。規制による地価の下落を恐れる声が強いからだ。指定などが遅れる理由としては、この目先の経済優先と、首長のリーダーシップ不足が挙げられるだろう。

 そして発生3年の熊本地震では、震度7が2度も観測された。最初の大きな地震の後、同規模の揺れが起きることへの警戒の呼び掛けが甘かったと批判された。昨年の北海道地震では全域停電(ブラックアウト)が発生、外国人観光客への情報伝達も課題となった。

 台風や局地的な豪雨による河川の氾濫や崖崩れも近年相次いでいる。富士山など火山の噴火も視野に入れた対策も不可避だ。自然災害のデパート、災害大国と呼ばれるぐらい危ない国であるという認識は広まっている。

 だが、対策はどうだろうか。阪神大震災もあって首都機能移転の議論は活発化したが、バブル崩壊で低迷する経済活性化のためと東京都が反対に転じると立ち消えとなった。その後も東京一極集中は加速し、今後起きる首都直下地震の危険度は増すばかりだ。

 南海トラフ巨大地震への本格的な備えもこれからだと言える。予想される被害の甚大さを「国難」と声高に叫ぶだけでは駄目だ。今後は復興予算を十分に確保できない可能性もある。高齢化もあって避難に支援が必要な人も増えていく。

 それだけに、危ない地域を避け安全な所に住むなど、予防的な視点に立ったまちづくりが不可欠だ。被害を確実に軽減する備えの政策を積み重ねなければならない。

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