旧有田町の各地区に建てられている石製標柱の一つ(有田皿山 泉山区銘)

 現在の有田町内は、16の区と49の地区に区分されるが、かつては、大きくは「町」や「村」および「山」と呼ばれる地区に分かれていた。いわば、村は農業を生業とする地区、町は商工業、山は窯業主体の地区という具合である。ただ、現在では、町・村・山の名称の多くは省略され、本来の地区の生業を地名から推し量ることは困難である。

 ただ、「赤絵町」など「町」を省くと地区名と分かりにくい場所、磁石場の名に端を発する「泉山」などは例外である。また、地区全体が窯業地であった場所は別として、村の一部を分割して窯業地とした「外尾山」や「広瀬山」などは、かつての「外尾村」や「広瀬村」との区別上、「山」の名称を残す。さらに、現在の「南山」の地区名は、「南川原山」の省略形で、かねてより窯業地であったことを表している。

 そのほか、現在では、真ん中に「大樽」地区を挟んで、「上幸平」地区と「幸平」地区に分かれるが、これはまず「幸平」の中央に窯業地としての「大樽山」が開かれ、その後しばらくして、「上幸平山」と「本(下)幸平山」が窯業地となったことに起因するものと推測される。

 普段地名などに気に留めることもないだろうが、こうしてあらためて振り返ると、各地区の成り立ちなどが隠されており、おもしろいのではないか。(有田町教育委員会学芸員・村上伸之)

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