画家の安野光雅さんは戦後の一時期、小学校の教壇に立っていた。「音楽はやれますか?」。採用面接で校長に聞かれ、「ハイ」と即答したものの、ピアノを触ったこともなかった、と随筆で明かしている。授業はいつも、必死で覚えた「雨降りお月さん」一曲だった◆学校現場に、きちんと音楽教育を受けた人材がまだ乏しかった時代である。鳥栖市の音楽教師、陶山聰さん(1907~99年)は貴重な存在だった。校歌改廃が進む中で次々に作曲依頼が舞い込んだ。没後20年で顕彰会が発足した記事を読み、全校朝会のたびに眺めた、体育館の校歌額のお名前を、懐かしく思い出した◆受け持ちの児童が書いてきた詩にすぐ曲を付け、譜面のノートをびりりと破いてプレゼントしたというから、あふれるような楽才だったのだろう。県内の中学校は3分の1が陶山さんの校歌という。県民の多くが、小学校から高校までのどこかで、陶山メロディーを口ずさんだはずだ◆ふるさとの山や川を、世代を超えて記憶していく。校歌はそんな、地域社会と切り離せない「日本独特のコミュニティー・ソング」だという(渡辺裕『歌う国民』)。いじめに不登校、少子化による統廃合…学校はいつの間にか、かつての牧歌的な輝きを失いつつある。泉下の作曲家が余計に懐かしいのは、そのせいかもしれない。(桑)

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