立葵蒔絵螺鈿箏(佐賀県重要文化財 多久市郷土資料館蔵)

 近世多久家初代領主多久安順の妻千鶴(1572-1659年)は初代藩主鍋島勝茂の姉で、筑紫(つくし)箏(ごと)の名手として知られていました。

 1605年、千鶴は勝茂と徳川家康の養女・菊の婚礼のため、京都・伏見へ行きました。その折、評判を耳にした後陽成天皇から「宮中に参内して演奏するように」との勅命を受けます。しかし畏れ多いことと考え、断る口実として「すでに佐賀へ帰りました」と返答したところ、「使用の箏だけでも見たい」と望まれました。見事な装飾が施された箏に天皇は「鳳凰」と名付け、手製の和歌とともに戻されました。

 その後「鳳凰」の箏は多久家の宝として大切にされていましたが、家宝であることを知らなかった姫が他家へ嫁入りする際に婚礼調度として持ち出し、所在不明となっていました。現在多久市郷土資料館が所蔵している「立葵(たちあおい)蒔絵(まきえ)螺鈿(らでん)箏(ごと)」(佐賀県重要文化財)が「鳳凰」であるといわれています。

 この箏は全面漆塗りで、甲裏に「天正五年(1577年)霜月十八日」の墨書銘があり、蒔絵や螺鈿で葵や蝶などが描かれています。大変豪華な作りですが、蒔絵の擦れ具合などから実際に使われていたことが分かります。

筑紫箏は主に僧侶や武士、武家の女性たちによって演奏されていました。華麗な箏が奏でる音色はどういうものだったのか、想像が膨らみます。

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