四阿屋川沿いに残る槍突き岩=鳥栖市牛原町

 鳥栖市の北東部に位置する国史跡勝尾城筑紫氏遺跡(かつのおじょうちくししいせき)は、戦国時代の城跡をはじめ往時の面影を伝える遺構が数多く残ります。遺跡を流れる四阿屋(あずまや)川に沿って上流へ向かうと、開けた地形が徐々に狭まっていき山々に挟まれた所に刺寄(きりよせ)と呼ばれる場所があります。

 刺寄周辺には、城下を区切る防御線である大きな空堀の跡が残り、江戸時代の古図には大手門があったことが記されています。狭い地形は、大勢の兵士で攻めるには難しく、少数の兵でも守りやすいことから城を守る重要な地点であったようです。

 一帯は天正14(1586)年に鳥栖を治めていた筑紫氏と薩摩の島津氏との間で行われた合戦において激戦地となった場所といわれ、筑紫春門と島津方の武将川上左京亮(かわかみさきょうのすけ)が一騎打ちを行い相果てた場所とも伝えられており、その際に槍(やり)が突き刺さったといわれる岩が残ります。川沿いには2人の慰霊碑も建立されており、400年前の激戦を今に伝えてくれています。

 4月21日には遺跡を巡る見学会も開催されますので、あわせて訪れてみてはいかがでしょうか。見学会の問い合わせは鳥栖市生涯学習課、電話0942(85)3695。

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