平成23年12月4日付の佐賀新聞1面

サガン鳥栖FC発足の会見で運営方針について話す元県サッカー協会理事長の坂田道孝氏(故人)。右はサガン鳥栖の代表に就任した中村安昭氏=平成9年2月4日、県スポーツ会館

サガン鳥栖のサポーターナンバー「17」のクラップバナーを掲げ、選手に声援を送るサポーター=3月17日、鳥栖市の駅前不動産スタジアム

 待ちわびた瞬間だった。2011(平成23)年12月3日、ベストアメニティスタジアム(当時)。鳥栖市にホームタウンを構えるサッカー・サガン鳥栖は、J2シーズン最終戦でロアッソ熊本と引き分けて2位となり、自力でJ1昇格を決めた。過去最多の2万2532人がその瞬間に立ち会った。チーム発足から15年目。存続危機を乗り越えての「夢」実現だった。

喜びの形

 「めちゃくちゃ感動した。待ちに待った瞬間だった」。当時、スタジアムで見届けた会社員の清末啓太さん(28)=佐賀市=は興奮気味にふり返る。涙を流す人、チームや選手をたたえるエールを叫ぶ人、だれかれ関係なく抱き合い、握手をする人、選手が躍動したピッチをじっと見据える人…。スタンドのそこここに、それぞれの喜びの形が見られた。

 浮き沈みが激しいクラブの歩みは、J1のステージからはるか遠いところにあった。サガン鳥栖の前身「鳥栖フューチャーズ」が1994(平成6)年に誕生、鳥栖スタジアムが完成した96(平成8)年のシーズン終了後、スポンサーの撤退などで経営危機に陥りチームは解散。サポーターはチーム存続の夢をつなごうと奔走し、約5万人の署名を集めた。県サッカー協会など6団体が描いた再生案と地元の熱意によって、Jリーグの「超法規的措置」で97(平成9)年2月に発足したのが「サガン鳥栖FC」だ。

 「消滅しそうな田舎のチームのために、全国各地の皆さんが存続に協力してくれた。当時を振り返る映像などを見ると何度でも泣ける」。フューチャーズ時代から応援を続ける薬剤師の高取幸司さん(36)=佐賀市=は感慨深げに話す。

 再スタート後も困難が連なった。大型スポンサーがないぜい弱な経営基盤でチーム強化はままならず、年間3勝のワースト記録を作ったシーズンもあった。Jリーグから経営改善要求を突きつけられ、当時のチェアマンに「クラブ解散」の可能性さえ言及されたこともあった。経営権譲渡で運営会社が現在の「サガン・ドリームス」になったのを転機に、クラブを巡る環境は変化した。自治体や企業と連携した事業の拡大、客層拡大へ試合への住民無料招待など「地元」「地域」を意識した取り組みを強化し、地域密着型のクラブ像を模索し続けた。

「地方の時代」

 「実業団チーム」に代表されるように、これまでスポーツを下支えしてきたのは、大手企業が中心だった。平成に入り、Jリーグのほか、バスケットの「Bリーグ」や野球・独立リーグの一部などで次々とプロチームが立ち上がり、その拠点は大都市から地方に拡大。Jリーグは、J1からJ3まで全国39都道府県55クラブにまで広がるなど、プロスポーツは今や「地方の時代」を迎えている。

 「(フューチャーズ時代の)当時から考えると、頭が追いつかないほど変わっている」。サガン鳥栖を応援し続ける高取さんは、素直にそう感じる。クラブとして、若い世代の育成にも力を注ぎ、オランダ1部の強豪・アヤックスとパートナーシップ契約を結ぶなど、海外との交流を深める。2017年には15歳以下で構成するU-15チームが二つの全国大会で優勝するなど結果に表れ始めている。

 小さな地方のクラブではあるが、成長を止めることはない。昨夏には元スペイン代表の世界的ストライカー、フェルナンド・トーレス選手(35)が入団。入場者数も、1998年のホーム戦1試合あたりの平均入場者数は3358人だったが、昨年は1万5千人。総入場者数も25万5004人まで伸び、いずれも過去最高を更新した。

 「スタッフ、フロント、サポーターのチームに対する愛がクラブをここまで成長させた」。サガン鳥栖在籍歴14年目の高橋義希選手(33)は、苦難のJ2時代を知る数少ない一人として、これまでを振り返る。「サガンが大事にしてきたのは、球際の勝負や最後まで走りきること。そういうプレーが仲間を助けたり、サポーターを喜ばせたいという思いの表れ」とぶれない信条を語った。

 J18年目の今シーズン。17日、ホームの駅前不動産スタジアム(鳥栖市)でのジュビロ磐田戦には、1万4624人が詰め掛けた。試合は終了間際、今季加入したスペイン出身のイサック・クエンカ選手(27)が鮮やかなゴールを決め、今季初白星をつかむ劇的な展開に、スタジアムには地鳴りのような歓声が響き渡った。

 「サガン鳥栖がない人生はもう考えられない。過去も現在も未来も。地方のクラブはJ1に居続けることに価値があると思う」。高取さんは、地元に自分の情熱を傾けられるプロチームがある重みをかみしめる。地域への愛着、誇り、そして夢を抱かせてくれるこうした存在こそ、今必要だと痛感している。

サガン鳥栖を巡る主な出来事

1994(平成6)年 PJMフューチャーズが静岡県浜松市から鳥栖市に本拠地を移転。九州初のプロサッカーチームに
1995(平成7)年 「鳥栖フューチャーズ」に名称変更
1996(平成8)年 鳥栖市のJR鳥栖駅東に約2万5000人収容の「鳥栖スタジアム」完成
1997(平成9)年 鳥栖フューチャーズの運営会社「佐賀スポーツクラブ」が財政危機で解散。約5万人の署名やJリーグの「超法規的処置」もあり「サガン鳥栖FC」が誕生
2005(平成17)年 「サガン・ドリームス」に経営権譲渡
2011(平成23)年 J2で19勝7敗12分け、勝ち点69で2位となり、チーム発足15年目で悲願のJ1昇格達成
2012(平成24)年 J1昇格初年度。15勝11敗8分け、勝ち点53でシーズン5位に
2018(平成30)年 元スペイン代表のフェルナンド・トーレス選手が電撃加入。7連敗や監督解任などを乗り越え、14位でJ1残留
2019(平成31)年 スペイン出身のルイス・カレーラス監督が就任。九州勢のJ1連続参戦最長となる8年目のシーズンに
 

【担当記者の回想】立ち返る原点 古川浩司 農政担当

 2010年シーズンの開幕直前。担当になりたての自分に、当時の監督・松本育夫さんが教えてくれた言葉を鮮明に覚えている。「うまくいかない時、苦しい時に、立ち返る原点があるかどうかが大事なんだよ」
 昇格を果たした翌年のチームには、その「原点」と呼べるものがあった。紙面では「ハードワーク」と表現した。ただやみくもに走っていたわけではない。個々が全体の約束事を守り、同じ方向を向いて戦ったからこそ相手の脅威となった。試合内容が悪くても、次節までに自分たちで話し合い修正した。突出した選手は少なかったが、今となってみれば成熟した大人のチームだったようにも感じる。
 J1も8年目。昇格時在籍していたメンバーは豊田陽平選手1人になった。“海の家”と称された簡易シャワーやトイレは立派なクラブハウスへと形を変えた。日本代表はおろか、世界的スターまでもが在籍するクラブになった。その一方、一人のファンとして、ここ数年の戦いぶりにはどこか物足りなさともどかしさを感じていた。
 今はクラブが成長する過渡期なのだろう。タレントぞろいの現メンバーが自分たちの原点を確立した時、新たな扉が開かれると信じたい。(2004年入社)
 

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