没後100年の3月25日から「辰野金吾記念館」の別称が加わる旧唐津銀行=唐津市本町

唐津市が唐津赤レンガの会の協力で作成した旧唐津銀行のパンフレット。表紙に辰野金吾記念館の別称も

 東京駅や大阪市中央公会堂など全国各地にシンボル的な建築を残している唐津出身の建築家・辰野金吾が亡くなり、25日で100年になる。唐津市は同日から辰野と関わりがある県重要文化財「旧唐津銀行」(本町)に新たな別称「辰野金吾記念館」を加える。市民の署名活動が実り、日本近代建築の父・辰野の生誕地として唐津をアピールする。

 旧唐津銀行を拠点としたまちづくりや辰野を顕彰する活動を続ける市民団体「唐津赤レンガの会」が、「全国に発信できる名称を」と署名活動を展開し、昨年2月に3176人分の署名を提出していた。市は今後、観光パンフレットなどに二つの名前を並記していく。

 旧唐津銀行は、辰野の弟子の田中実が設計を担当し、1912(明治45)年に完成した。辰野の監修と言われ、外壁が赤レンガ調のタイルと白い石で「辰野式」と呼ばれる特徴と一致する。2階が各地の辰野建築を紹介する展示スペースになっている。

 念願かなった同会の田中勝会長(70)は「市民でも辰野を知らない人がいて、認知度を高めるきっかけになる。ここが新たなスタート」と話している。

 25日は同会が午前10時半に坊主町の生誕地跡(現ルーテル幼稚園駐車場)で慰霊祭を開き、同11時15分から旧唐津銀行で講演会や紙芝居、辰野夫妻の2人芝居を開く。また午後2時から、唐津市が佐賀県から寄贈された辰野と唐津出身の建築家・曽禰達蔵のモニュメント除幕式が旧唐津銀行で行われる。

 辰野の没後にまとめられた『工学博士辰野金吾伝』によると、1919年3月30日に東京で開かれた葬儀には約千人が参列。唐津藩英学校「耐恒寮」で師弟関係にあった大蔵大臣の高橋是清、親類でもある東京帝国大学総長の山川健次郎ら24人が弔辞を述べ、建築学会会長の曽禰も「君の死はわが建築界の一大喪失なり」と66歳で逝った盟友を悼んでいる。

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