「江戸の仇かたきを長崎で討つ」とは、以前受けた恨みの仕返しを意外な所や筋違いなことで果たすことのたとえだ。ならば「“戊辰の仇”料亭で討つ」とは。唐津市明治維新150年事業推進室の黒田裕一さんに執筆いただいた本欄「明治維新と唐津藩」の最終章(3月17日付)の見出しである。

 唐津藩士多賀右金治。鳥羽伏見の戦で敗れ、主君小笠原長行とともに会津に逃げ落ちる。その後、江戸に戻って料亭を開き、薩長出身者ら新政府の要人から遊興費を取り立て、若き郷里出身者に寄付したという人物だ。

 振幅があるというか、したたかというか。ある意味、幕末明治の唐津を象徴しているように思える。

 徳川家に忠義を誓う譜代大名で佐幕派。唐津藩は薩長土肥を成した佐賀藩と対置して語られてきたが、この1年の歴史検証で改めて思い知ったこともある。

 それは全国屈指の採炭量を誇った石炭を武器に廃藩の危機を脱した知略であり、後ろ盾はなく、勉学で道を切り開いた耐恒寮出身者ら若者たちの情熱である。

 あれから150年。景観、産物、そして和の文化。今も誇るものは多い。では足りないものがあるとすれば、それは何か。周年の終わりに問いかけてみる。(唐津支社長・吉木正彦)

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