発掘当時の祭壇

祭壇からは普賢岳もはっきり見える

 北墳丘墓から南へ約800メートル下ると、北墳丘墓と同じような台形の「祭壇」と呼ばれる小山があります。祭壇からは発掘調査の際、北墳丘墓と同じように違う土を何重も突き固めた層が確認され、祭祀(さいし)用の土器も大量に出土しました。また、供え物と思えるような壺(つぼ)に入れられたままのマガキ、スミノエカキ、アゲマキ、オオタニシ等の貝類、焼けた鳥の骨、ネズミやヘビの骨も発見されました。

 祭壇は北墳丘墓と同じ弥生中期前半に造られ、集落の最盛期である後期後半まで継続して使われていたようです。はじめに祭壇は北墳丘墓から南と書きましたが、実はその祭壇から見て南へ約60キロの場所に雲仙岳があります。途中、佐賀平野と有明海を挟みますが、雲仙岳の堂々とした姿は祭壇の上からはっきり見えます。きっと吉野ケ里に住む弥生人は雲仙岳をあがめていたのはないでしょうか。

 この北墳丘墓から祭壇、雲仙岳を結んだ線は吉野ケ里の「南北の聖なる軸線」として北内郭の主祭殿の中央をも貫いていることから、後期後半の集落の基本設計に組み込まれていたようです。考えてみれば壮大な設計です。(吉野ケ里ガイド 福田幸夫)

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