生い立ちを語るはなわさん=佐賀市のGEILS

 藩校しようぜ-。幕末佐賀の藩校・弘道館をイメージした県の事業「弘道館2」の10時間目が1月、佐賀市のライブハウスGEILS(ガイルス)で開かれた。テーマは「音楽は自由だ!学」。佐賀県育ちのお笑い芸人はなわさんが自身の“哲学”を語り、受講者の夢や佐賀への愛を即興で曲に仕立てた。


【講義】人生哲学を伝授

 初めて講師を務めるというはなわさんは「(これまで教師には)歯向かって生きてきた。きょうは歯向かわないで。優しい先生でいきます」と会場の笑いを誘った。講義では、人生の生い立ちを振り返りつつ「根拠のない自信」「唯一無二」「自分のキャラを知る」などのキーワードを基に自身の哲学を伝授した。

 

 

■自信のない大人に違和感

 埼玉県春日部市で3人兄弟の次男として生まれたはなわさん。2歳で千葉県我孫子市へ引っ越し小学5年生まで暮らした後、父親の転勤で佐賀県へ。当初は父親だけが単身赴任で佐賀へ行く予定だったが、「家族は一緒に住まないといけない」という母親の意向で一家そろって佐賀へ移り住んだ。
 佐賀の地を踏んだ初日、季節は夏で太陽の日差しがまぶしい日だった。目の前に田んぼが広がる風景に「ここで暮らすのかと正直思った」と落胆した当時の心境を語った。
 それまで関東で生活していたはなわさんにとって、佐賀での生活はどこか物足りなさを感じていた。さらに、周りの大人たちは「佐賀は何もなかもんね。しょうがなかやん」と口をそろえる。ふるさとに自信がない大人たちに違和感を覚えた。

■根拠のない自信

 東京へ強い憧れを抱くようになり、佐賀東高を卒業後、芸人を目指して上京した。2003年に佐賀県をモチーフにした歌「佐賀県」でデビューし、紅白歌合戦の出場も果たした。
 「“芸人はなわ”を作る上で自信が大事。自信がなくなったら全てが崩れていってしまう気がする」というはなわさん。「芸能界では自信のある人が活躍している。根拠はないが、はったりでもいいから自分は天才なんだ、世界を変えてやるんだと思って生きた方がいい」と呼び掛けた。
 現在、はなわさんは佐賀で暮らしながら芸能活動を続ける。「打ち合わせもスカイプ(インターネット電話サービス)でできる。今はそういう時代。佐賀だからできないことはない」と力強く語った。

■唯一無二

 独特な髪型、ベースを持って歌う芸風-。はなわさんは誰もやっていない「唯一無二」を意識して芸能活動を続けてきたという。音楽の分野では近年、2017年にヒット曲「お義父(とう)さん」をリリースし、18年にはオリジナルアルバム「カラアゲ」を発売、19年には映画「飛んで埼玉」の主題歌を担当するなど活躍は続く。さらに、さまざまなアイドルグループが群雄割拠する芸能界で、“唯一無二”の男装ユニット「風男塾(ふだんじゅく)」のプロデュースも手掛け、幅広い分野で活動する。
 「誰かのまねをする意識はない。常にパイオニアになる意識を持っている」と挑戦し続ける。挑戦すれば失敗も付きものだが「困難な道を進んだ方が強くなる。失敗が笑い話になる」と前向きさを見せた。

 

■自分のキャラを知る

 人を笑わせるこつは「自分のキャラを知ること」とはなわさん。「佐賀にいなければ芸人になっていない。佐賀のおかげで『佐賀県』が生まれた」と振り返る。
 上京してから先輩の芸人から「佐賀県出身」ということに対して「田舎もんだな」といじられていたという。芸人は身長や体格などコンプレックスと思われがちな部分を笑いに変える。「普通の青年。みんながどこを面白いと思ってくれているのか考えた」。自分のキャラクターをとことん突き詰め「芸人はなわ」を確立した。
 「難しいけれど、自分からにじみ出るものや自分のキャラクターを知ることが大事。考え方や視野を広げて考えると、(自分が)どういう人間かが見えてくる」と語った。

■家族で佐賀へ

 妻と出会ったのは中学生の頃。一つ上の先輩で当時から好意を寄せていた。「告白したが『はなわって名前が嫌だ』と振られた。でも今は(妻が)電話で『はなわです』って言っているのを聞くとよっしゃと思う」と笑顔で語った。
 2011年の東日本大震災後、「妻が佐賀県出身であることや子育てしていく上で住みやすい場所を考えた」と一家そろって東京から佐賀へ引っ越した。東京で芸能活動をしていたため、離れて暮らすことに不安があり悩んだという。しかし、現在は一家への密着番組や家族でCMへの出演もあり、「来てよかった」と満足な表情を浮かべた。柔道に励む3人の息子を育てており、「毎日米を10合炊く」とはなわ一家の食卓事情も語った。佐賀の食材が一家を支えている。


【ワークショップ】夢や将来の不安を歌に

 

 現場の空気を読み、立ち位置を考え、笑いの振りやオチなどさまざまな“方程式”があるお笑い業界に比べて、音楽は自由。「自由の面白さを感じてほしい」と筋書きのない曲作りが始まった。
 その場での曲作りは初の試みというはなわさん。「自信は五分五分。どうなるか分からないけれど、どきどきしながら楽しもう。普段曲を作る感覚で、みんなとの一体感で作っていきたい」と笑顔を見せた。
 まず作詞。受講者の夢や将来への不安など話を聞きながら、キーワードをひもといて歌詞を考えた。「整備士になりたいが安定した職がいいだろうか」「ミュージカル女優になりたい」「夢が見つかった時のために準備をしておきたい」「夢は決まっていないけれど、目の前のテストも頑張りたい」など、さまざまな夢や悩みを口にした。その夢に対してはなわさんは、親身に耳を傾けて、アドバイスしつつ歌詞を紡いでいった。

 ♪いくつになっても夢は叶う どこにいても夢は叶う 自分が想ったままに どうなろうと後悔しないように 佐賀できっかけを掴む 佐賀の飯を食ってみろ♪

 

 歌詞を考えた後、はなわさんはベースの弦をはじきながら、頭の中でひらめいたメロディーをくちずさんでいった。即興で組み立てていくリズムに合わせて受講者と手拍子したり、声を収録したりする場面もあった。メロディーが完成すると、歌詞を整えるために控室へ。約30分後に会場へ戻ってきて、完成した曲を全員で歌い上げた。約1時間半、即興で1曲作り上げ、はなわさんは安心したような、やりきったような表情を見せた。

歌のコーラス部分を受講者が歌った

【Q&A】

Q.歌いだしたきっかけは?
 小学生の頃から歌を作っていた。「ファミコン かっつぇ(買って)」と名付けた曲を作りカセットテープに録音して親の枕元で流していた(笑)。やっていることは今と変わらない。

Q.芸人になる時に家族から(反対とか)言われなかったのか?
 親は何も言わない人だった。芸人は25歳までに結果が出なかったら辞めようと思っていたが、いざ25歳になっても自信があるからやめられなかった。なりたい自分と今の自分で違うことがあるから演じるが、全く違う人間にはなれない。まじめなキャラを演じるにも根源にないとできない。だから、(自分のキャラクターを)しっかり見つめるのが大事。

Q.社会的な評価や壁にぶつかる瞬間もあると思うが、どう乗り越えたのか。
 いまだに考えるし、壁にもぶつかるし悩む。ぶつかりながら生きている。周りにどう見られているか常に考えている。でも無理しないことが大事。
 好きなことかどうかを自問自答しながら生きるのは誰にでもある。何もないと思う人ほど面白い。人の意見も大事にしながら、思うままに生きて。


【参加者感想】

◆古川瑠璃さん(14)=早稲田佐賀中学2年
 “自由”という言葉が印象に残った。(これからは)型にはまらず新しいものが作れる人が必要とされると思う。勉強だけでなく部活もいろいろなことに挑戦して、マルチな人間になりたい。

◆野田雛子さん(15)=致遠館中学3年
 日々のテスト勉強など小さいことでも重ねていくことで未来につながる。目の前のことを頑張って将来につなげたい。まだ夢は見えないけれど、どうすべきかヒントがあった。
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◆弘道館2とは◆

 幕末佐賀の藩校・弘道館を再現した県の人材育成事業。県内の中高生や学生などを対象に夢や可能性を広げるきっかけを作ろうと、さまざまな分野の最先端で活躍する県内ゆかりの講師を招いて学ぶ。17日は、特別講座として、ファッションデザイナーの中村暖さんらが「佐賀県海外使節団」について語る。(当日受付あり)。コーディネーターは電通の倉成英俊さん=佐賀市出身=。問い合わせは事務局、0952(40)8820。

【動画】

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