8回目の追悼の日を迎えた。死者1万5897人、行方不明者2533人という甚大な被害をもたらした東日本大震災。自然の猛威に、なすすべもなく立ちすくんだ、あの日をあらためて心に刻みたい。

 「東北の被災地では、この春までに、4万7千戸を超える住まいの復興がおおむね完了し、津波で浸水した農地の9割以上が復旧する見込みです」。安倍晋三首相は1月の施政方針演説でこう胸を張った。確かに避難者は当初の47万人から5万2千人に減少、住宅の再建もおおむね完了し、農地の92%、水産加工施設で96%が営農・業務の再開が可能となった。

 しかし、ソフト面の地域再生はまだ道半ば。原発事故に見舞われた福島県では、双葉町の96%、浪江町の8割など、7市町村で帰還困難区域が厳然と存在し、住民が故郷に戻れない現実も横たわる。この先も廃炉まで気の遠くなるような年月が待つ。被災者にとって、大震災の記憶は薄らぐどころか、いまだに積み上がっているのだ。

 市街地を見下ろす高台にある宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館。6年前から続く常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」には、被災者でもあった学芸員が現場で撮影した写真203点、被災物155点、歴史資料137点を展示している。

 写真には、学芸員のリポートを、被災物にはそれにまつわる物語を添えた。その目的は「風化を止めることでもなければ、忘れさせないことでもない。知らなかったことに出会い、心を動かし、思考を巡らせ、新たに記憶してもらうこと」という。「伝える意思と伝わる表現」を意識した展示は、いわば記憶を再生し、紡ぐスイッチの役割を果たしている。

 振り返ると、この国では、公文書の廃棄や改ざんがまかり通り、「不都合な真実」を隠蔽(いんぺい)する、歴史への冒瀆(ぼうとく)とも呼ぶべき、行政の行為が次々と発覚した。政府や自治体、そして民間にも、大震災に関わる膨大な記録や記憶が残されている。これらを確実に保存し、公開していく、次の世代に継承していくことが、「災後」を生きる私たちの務め、未来への責任ではないか。

 「復興五輪」と名付けた2020年の東京五輪・パラリンピック。安倍首相は「東日本大震災から見事に復興した東北の姿を世界に発信しよう」と訴える。整備された街並みをアピールしたいのかもしれない。だが“傷痕”を隠そうとするのではなく、むしろ帰還困難区域をはじめ被災地のありのままを見てもらう、知ってもらうことが、苛烈な原発事故を体験した国の責務だろう。

 リアス・アーク美術館の学芸員が記したメッセージは重く響く。「世界中の人々に見続けてほしい。多くの人々がこの地を訪れ、この地域を体感してほしいと願っている。間違いなく、それが地域を支える力となるはずだ」

 8年前、世の中には「絆」「寄り添う」という言葉が氾濫した。ただ、被災しなかった人が、被災者に同化し、内面に入るのはおのずと限界がある。私たちにできるのは、3・11、その後の歩みについて、日々学び、新しい知識を加え、記憶に焼き付け、紡いでいくこと。それは、この国のありようを問い直すことにもつながる。(共同通信・橋詰邦弘)

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