一、武士道に於いておくれ取り申すまじき事

一、主君の御用に立つべき事

一、親に孝行仕るべき事

一、大慈悲を起こし人の為になるべき事

 

 これが「葉隠四誓願」である。山本常朝は「葉隠」の序章「夜陰の閑談」の総論として、最後にこの誓願を置いた。武士は命を賭して戦場を駆ける戦闘集団である。戦場ばかりではない。職責を全うするには臆してはおれない。武士は常に農工商の領民の模範であらねばならなかった。大著「葉隠」の根本精神は、この四誓願に尽きると言っても過言ではない。

 

 此の四誓願を、毎朝、佛神に念じ候へば、二人力になりて後へはしざらぬものなり。尺取蟲の様に、少しづつ先へにじり申すものに候。佛神も、先ず誓願を起し給ふなり。 

 

 仏神も修行に臨んでは、先ず誓願を立てると言っている。この四誓願を読めば、修身や教育勅語あるいは「教科化」された道徳を連想させるかもしれない。しかし、そうではあるまい。むしろ常朝がどのような環境の中に生まれ育ち、だれを師として学び、どのような職責によって鍛錬されてきたのかを見れば、それらのなかに答えを見出すことができる。またどのような理念に基づいて四誓願を掲げたのかについても、夜陰の閑談のなかに語っている。

 「ご先祖様の作られた体制がどっしりと盤石であったので、お家の根本は動揺することがない。あやまちがあって浪人を命じられても藩内にとどめ置かれ、また重大な罪で切腹を命じられた者でも、家族は藩内に住めるように処置された。われわれはこんなにも主君と家臣の契りが深い鍋島家に生を受けた。7度生まれ変わっても鍋島侍として誕生し、国を治め申さねばならないという覚悟が、私の肝に染み込んでいるだけだ」

 封建社会の中で生まれた誓願である。これを現代版に直して読み取れば、「職場にあっては仕事で後れを取ることなく、社会や会社の役に立てるように務める。家庭にあっては親孝行を忘れず、大きな慈悲心を胸に人のため、世のために尽くそう」との誓いである。

 龍造寺家から鍋島家に連なる歴代の君主への崇敬の念、郷土への愛着は半端ではない。現代社会を生きる私たちに訴えるメッセージが行間に感じ取れる。次回から常朝の精神が培われた背景を探ろう。(葉隠研究会副会長、火曜連載)

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