久留米ロータリークラブ建立の武田胤雄氏の句碑=基山町園部

 寺は荒れていたが総代も檀信徒も、住職を助けて自分たちの寺を良い寺にしなければならないという気持ちに満ちていた。

 寺門経営もようやく軌道にのる中、裏山一帯の山林を譲り受けての「つつじ園」造りが、現在の「大興善寺契園」の園内に入って左手、「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」の所から始まった。

 宝篋印搭は1802(享和2)年、肥後国玉名郡(現在の熊本県玉名市岱明たいめい町)生まれの豪潮(ごうちょう)律師(りっし)(1749―1835)が、八万四千(はちまんしせん)の塔建立を発願後、最初に造ったもの。八万四千とは、仏教で多数あるいは無数を意味する。

 玄祐師は八万四千のつつじの花が咲き誇るさまを想い描き、“古刹を現前の浄土にする”との固い決意のもとに、開墾と植栽を進め1923(大正12)年、開園した。

 戦時中の一時期を除いて園の拡張は続けられ、やがて総面積75000平方メートル、5万本規模の大つつじ園が誕生する。

 玄祐師と親交のあった久留米ロータリークラブの武田胤雄たねお氏は、

 現世(うつしよ)に 浄土ありけり つつじ寺

の句を詠み、愛称を「つつじ寺」と命名、大興善寺参道入り口の県道脇に57(昭和32)年4月、句碑を建立した。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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