大学1年だった1968年12月、東京・府中で現金強奪事件が起きた。「3億円事件」。事件現場近くに住んでいた友人たちが「下宿に刑事が来たぞ。運転免許を持っているか聞かれた」と騒いでいた◆翌69年12月12日の朝。購読していた毎日新聞を見て声を上げそうになった。「3億円事件に重要参考人」という大見出し。当然、学校でもその話題で持ちきり。「犯人が捕まるぞ」。ところがこれがまったくの誤報であった。犯人呼ばわりしていた人を一転、翌々日の新聞は“◯◯さん”と敬称表現に変えて謝罪していた◆報道被害を実感した初体験だが、卒業を間近にした72年2月19日。「あさま山荘事件」である。過激派「連合赤軍」メンバー5人が軽井沢の山荘に人質を取って立てこもった。長野県警機動隊と激しい銃撃戦。人質救出は難航を極め、事件10日目の28日、警察が強行突入◆巨大なクレーン車に吊つり下げれられた鉄球で山荘を打ち壊す警察と犯人たちの攻防。学校にも行かずテレビの生中継にくぎ付けだった。既に新聞社への就職が内定していたが、事件の負傷者の中に報道関係者がいたことを知り、まだ知らぬ取材現場の厳しさみたいなものが、何となく…◆あの日から47年。昭和が過ぎ、間もなく平成が終わる。それぞれ時代を映し出す事件の記憶がよみがえってくる。(賢)

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