財務省理財局を舞台にした決裁文書の改ざんという前代未聞の不祥事が表面化してから間もなく1年になる。

 学校法人「森友学園」への国有地格安払い下げを巡る決裁文書の改ざん疑惑を朝日新聞が報じたのは2018年3月2日。国会で追及が始まり、財務省は10日後、事実関係を認め、6月に公表された調査報告では当時の理財局長が改ざんを主導したと認定された。

 しかし、改ざんの動機について安倍晋三首相らに対する忖度(そんたく)や官邸サイドの指示や黙認、追認があったのではないかとの疑念に対する説得力のある説明はなかった。

 その意味でこの問題はいまだ解決していない。加えてその後、裁量労働制に関する不適切データ問題も発覚、現在は毎月勤労統計の不正問題が野党やメディアの追及の的になっている。

 さかのぼれば、17年3月には陸上自衛隊の日報隠蔽(いんぺい)が発覚、同年6月には学校法人「加計学園」による獣医学部新設問題でも当初「怪文書」扱いされた文書が確認されるなど公的な文書、データを巡る不祥事が多発している。

 一つ一つは発覚時点では前代未聞のことだったが、これだけ続発すると、もはや一般の国民はその詳細どころか何が起きたのかさえ全ては覚えきれなくなっている。「同じようなことが起きて関心がわかない」という声さえ聞く。

 国民が公的な文書やデータを巡る不祥事に慣れつつあるのであればことは極めて深刻だ。問題が取り沙汰されても世論調査で内閣支持率がそれほど低下しないのはその証左なのか。

 文書の隠蔽や改ざん、不正な統計処理などを行う官僚の体質に国民が慣れてしまったらどうなるのか。倫理は緩み、再発防止はおぼつかなくなり、いずれ政府に対する信頼は失われることになるだろう。

 安倍政権は最近、内閣支持率が影響を受けないためか積極的に真相を解明しようとしなくなっている。すでに「慣れ―緩み―信頼喪失」という負のスパイラルが始まっているのではないか。

 ここで思い起こすべきなのは改ざんが表面化した5日後の昨年3月7日に、改ざんを強要された近畿財務局の職員が自ら命を絶ったことだ。

 改ざん疑惑報道後、財務省は調査中とするだけで事実関係を認めず、職員が自殺したことが9日に表沙汰になると、改ざん時の理財局長だった佐川宣寿国税庁長官が混乱の責任を取るとして辞任。財務省が公式に改ざんの事実を認めたのは職員の自殺の5日後だった。

 もとより自殺はあってはならないことだが、まっとうな倫理観を持っていながら公務に関連して不正を強いられた人間が自ら命を絶つまで追い込まれるという不条理が許されていいわけはない。

 当初、自殺が改ざんと直接関係あるのかはっきりしなかったが、麻生太郎副総理兼財務相が調査報告を公表した昨年6月4日の記者会見で、「改ざんに関与したことに非常に責任を感じて、という形で身を絶たれた方がおられた」と明言した。

 手を染めさせられた人間が自殺するほどの悪事だったと認識すれば、われわれも慣れに抗することができるのではないか。いま一度、近畿財務局の職員の死を胸に刻み込み、その意味を問い続けることが重要だ。(共同通信・柿崎明二)

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