いじめによる自殺のニュースを聞くたびに思い出す写真がある。大津市の中学2年の男子生徒が飛び降りたマンション14階から見た光景である。眼下には彼が通っていた中学校が見えた。命の最期の瞬間、生徒はどんな思いで校舎を見つめていたろうか◆大津地裁で、男子生徒の自殺は元同級生によるいじめが原因と認める判決が出た。連日殴ったり、ハチの死骸を食べさせようとした元同級生は「遊び」のつもりだったという。いじめた側といじめられた側の大きな乖離(かいり)を思う。いじめられた側は、死を選ぶほど追い詰められていたというのに◆似たようなことを感じさせる出来事が最近あった。別府大分毎日マラソンで通訳を務めた女性が、ブログでアフリカの選手をこんな表現で紹介していたという。「原始人とコミュニケーションをしている感覚」「かわいいチンパンジー達」◆本人は「差別的な気持ちはなく軽率だった」と話したという。「遊びだった」「軽率だった」「イジリだった」。こんな弁明を何度聞かされてきたことか◆それにしても生徒の自殺から7年あまり。いまもいじめが原因とみられる自殺が後を絶たない。悪気がなかったとすればなおさら問題だ。相手を気遣う意識がまったく欠落している。そのことに気づいていない。この乖離をどう理解すればいいのだろうか。(丸)

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