「春一番」がおととい吹いた。こんな春の便りがちらほら届くころになると、子どもの時の麦踏みを思い出す。何のために麦を踏むのか分からないまま、「手伝え」と母親に言われ、親子で黙々と踏んだ。遠い日の記憶である◆「春が来て雪が消えると、村の畠では麦ふみがはじまる。君は麦ふみのこころよい足ざわりを知っていますか」。歌人の前田夕暮(1883~1951年)が随筆でそう触れていた◆今は機械のローラーで行うことが多いそうだが、かつては早春の代表的な田園風景であった。後ろ手を組み、カニ歩きをするようにして丁寧に踏んでいく。夕暮の表現を借りると「さっさっ、すっすっ」と進む◆麦踏みは麦が伸びすぎたり、霜で根が浮き上がるのを防いで根張りをよくするのが目的だ。根が張って倒れにくく丈夫に育つ。そんなところから、子育ての心得のように例えられることもある。人は踏まれてこそ強くなるということだろう◆〈麦を踏む人に祈のあるごとく〉嶋田峰生。大げさなようだが、黙々と麦を踏んでいる時、心は無になる。そして、ヒバリの「ピーチュル」とか「ピーピー」というさえずりにふとわれに返ることも。空高く舞い上がるヒバリ。歳時記に楽しい句を見つけた。〈そんなにも空が好きかいひばりさん〉松浦敬親。本格的な春はすぐそこだ。(丸)

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